バブル時代の負の遺産、五輪誘致も大失敗
企業進出は進まず、咲洲に建設された旧大阪ワールドトレードセンタービル(現在は大阪府咲洲庁舎)やアジア太平洋トレードセンターは空室だらけに。大阪市も出資する運営会社は経営破たんし、「テクノポート大阪」計画は2009年に白紙に戻されました。この間に投じられた事業費は、3島合計で8000億円に達したとされています。
大阪市はこの間、湾岸地区の起死回生を狙ってさまざまな策を講じました。その1つが夏季五輪の誘致です。当時の構想によると、「海のオリンピック」をテーマとして2008年の五輪を開催。主な会場を人工島とし、舞洲にはメーン会場のスタジアムを建設する一方、夢洲には選手村を整備し、五輪終了後には4万5000人が暮らす住居に転用するという計画でした。
ところが、開催地を決める2001年の国際オリンピック委員会(IOC)総会で、大阪市は全102票中、わずか6票しか得られませんでした。立候補5都市の中では、ダントツの最下位。その瞬間、「五輪で港湾地区を活性化させる」という構想はあえなく潰えたのです。
その後、咲洲はコスモスクエア地区を軸として、研究開発・教育施設、ビジネス拠点、ホテル、集合住宅などが整備されていきました。舞洲にはプロ野球オリックス・バファローズの2軍施設ができたほか、野球場や陶芸館などのスポーツ・レクレーション施設が並びました。
土地の有効活用が最も遅れていたのが、今回の万博会場となる夢洲です。3つの人工島のうち最も西に位置し、大きさは東西に約2.5km、南北に約1.8km。総面積は約390ヘクタールに達し、甲子園球場のおよそ100個分の広さがあるとされています。
夢洲の歴史が始まったのは1977年でした。この年、国は大阪市に対して埋め立てを許可し、大阪市は廃棄物の最終処分場としての利用を開始。大阪湾の浚せつ土や建設残土、一般廃棄物、ゴミ焼却後の灰などが運び込まれ、埋め立てが進んでいきます。
しかし、当初の「6万人が暮らす新都市」を夢洲につくる構想は頓挫。広大な主要開発エリアの使途は東部の埠頭用地を除いてなかなか決まらず、他の2つの島と比べて「負の遺産」の度合いが濃くなっていました。
その窮地を脱する策として浮上したのが、カジノを軸にしたIR(統合型リゾート)構想と大阪・関西万博です。