理由の2つ目は、取り締まりに際してあきらかな人種差別がなされていたことである。「市議会の報告書によると23年に違反切符を切られた人の92%以上が黒人やラテン系だった」という。
現在でもそういう露骨なことをやっているのかと驚くが、人種の坩堝であるアメリカならではの現実的な事情があるのだろう。
だからといって、法律そのものを撤廃してしまうとは、いかにもプラグマティズムの国だという気がする。といってもまだニューヨーク市限定のことだが、日本では到底考えられないことである。
もちろん、軽微な法律だからということもあるだろう。撤廃しても影響は小さい。
ちなみに、日本でも歩行者の信号無視は、道交法121条1号により、最大2万円の罰金(科料)が科されると規定されている。
信号はなんのためにあるのか
この「赤信号」問題は、日本でも微妙な問題である。
わたしは、「赤信号みんなで渡れば怖くない」が人口に膾炙しているときでも、「赤信号ひとりで渡っても怖くないよ」と思っていた。
じつをいうと10年前ぐらい前まで、頻繁に赤信号無視をしていたのである。といっても、左右を見渡して、車が全然来ない場合に限ってである。
そんなときでも歩行者たちが青信号になるまで、じっと待っていることが不思議でならなかった。なんで渡らないんだろうと。

だって信号はなんのためにあるのか。
人と車が衝突して事故を起こさないようにするためである。しかし、その相手である車がまったく来ていない。
だったらたとえ赤信号でも、渡っていいはずではないか。いやむしろ、渡るのが人間として正しいのではないか。赤信号を守る意味がないのだ。
このうえもなく、簡単な理屈だ。