流行に流されず、孤高の頂を目指す
〈変容・進化〉
バッハが批判された時、時代は荘重で複雑な技巧を凝らしたバロック音楽から、優美で軽やかなロココ音楽へと移り変わっていました。
晩年のバッハは学校や教会の仕事に情熱を失い、自らの芸術信条の証を残すべく、孤高の頂を目指します。最後の大作《フーガの技法》では、フーガのあらゆる可能性を記すことで、旧来の技法の総決算を行いました。
生真面目で厳格なイメージのあるバッハですが、フーガを探求した研究論文のような《フーガの技法》の一方で、老バッハが一体どんな顔で作ったのだろうと思わず吹き出す、農民のブラックジョーク入り混じる愉快な世俗音楽《農民カンタータ(狂言風カンタータ)》もライプツィヒ時代に作曲しています。どんな曲でも自由自在に繰り出せる、バッハの底知れぬ奥深さを感じさせる作風です。
1世紀の時を経て再評価され、音楽家のバイブルに
〈功績・使命〉
3大バロック音楽家のヘンデルが生前からヨーロッパ大陸を股にかけたグローバルな音楽家だったのに対し、生前のバッハの評価はあくまで地方都市で活躍したオルガニストというローカルな立場でした。そのため、時代の波と共にバッハの存在は風化し埋没していきます。
その後約1世紀の時を経て、メンデルスゾーンがバッハを「発掘」し再評価すると、続く大音楽家たちはバッハの作品をバイブルにしていったのです。
なぜ、いち名オルガニストに過ぎなかったバッハが「音楽の父」となり、彼の作品がバイブルとなったのでしょうか。
それは、バッハがこれまでの伝統的な「対位法」を極限まで洗練させたと同時に、新しい「和声法」も取り入れた、近代西洋音楽の基礎固めに貢献したからです。「対位法」は、複数のメロディを調和させる伝統的な作曲技法で、この頂点に君臨する音楽が格式の高いフーガです。
対して「和声法」とは、一つのメロディを和音で響かせる当時の新しい技法で、現代では一般的な作曲技法です。つまり、これまでの伝統的な音楽の集大成を作り、新しい音楽の扉も開けたのです。
そして、ルター派プロテスタントの宗教音楽に、情熱的なイタリア様式や端正なフランス様式の音楽を取り入れて、新しいドイツ音楽を確立しました。
バッハは、ルター派プロテスタントの信仰心のあつい敬虔な姿勢と、持ち前の勤勉さで音楽に人生を捧げた人物でした。彼の創作意欲は終生衰えることなく、最盛期にはハードスケジュールの中、毎週新曲を作曲し、最終的に1100曲にも上る多作を遺しています。ルター派教会が嫌厭したオペラ以外のすべてのジャンルを網羅しているのも、彼の貪欲な姿勢が表れています。
彼の音楽活動の原動力は、宗教音楽であれ、世俗音楽であれ、神への奉仕の精神からおこったものでした。神が創り給うたこの世の秩序を、音楽という方法で表現したのです。
バッハは、論理的で文字や数字などの暗号も含んだ、誰もできないような難解なテクニックを用いて完成度の高い曲を作ってきました。この世の秩序を創造した神の意志に沿った、整った音楽を作り上げること。それが彼の使命だったのです。
彼の音楽の特徴は、神の秩序に従って非常に数学的、論理的で緻密に設計されている点と、そうでありながら知識のない民衆にもわかりやすく、いつまでも余韻に浸れる美しい音楽である点です。この2点を両立しているところこそが、のちの音楽家が尊敬してやまない、彼のたぐいまれなる才能なのです。
