海外の「騸馬(せんば)」旋風!

 1996年以降、このレースは距離1200メートルとなり、春の短距離決戦として位置づけされました。短距離G1となって以降の歴史を振り返ってみると、全29レース中、牝馬の優勝は4回、騸馬(せんば。去勢された馬のこと)1回となっていて、牡馬の勝率が83%です。

 同じ1200メートルで行われる秋の短距離決戦「スプリンターズステークス」では、全35レース中(1990年のG1昇格以降)、牝馬の優勝10回、騸馬3回で、牡馬の勝率が63%、「高松宮」の牡馬勝率と比べるとかなり低くなっています。

 特に2005年と2006年の「スプリンターズステークス」では、外国馬のサイレントウィットネス(香港、6歳馬)、テイクオーバーターゲット(豪州、7歳馬)が1番人気に応えて優勝、どちらも「騸馬」という共通項がありました。

 去勢は調教中や競馬場に行って興奮しがちな馬をレースに出走できる程度にまでおとなしくさせることが目的で行われます。当然ながら、引退後の種牡馬としての役割からは除外されます。

 ちなみに、海外の騸馬として日本で最も知られていたのは1982年の第2回ジャパンカップ出走のため来日した米国のジョンヘンリーかもしれません。あいにくジャパンカップでは1番人気に応えられず13着と惨敗しましたが、G1レース16勝の記録を持っている名馬でした。私はこの馬が来日したことで「騸馬」の存在意義を理解しました。

 2010年の「スプリンターズステークス」では、やはり香港の騸馬・ウルトラファンタジーが10番人気で勝利し単勝29.3倍をつけましたが、このとき同馬は8歳で競走馬としては高齢でした。  

 同レースでの過去の日本優勝馬は3歳から5歳が多いので(G1昇格後の日本の優勝馬平均は4.5歳)、優勝した前述の外国馬3頭の平均7歳と比べると2歳半も差があります。

 騸馬の大きなメリットとして実績馬でも種牡馬になる必要がないので、故障等がなければ高齢まで走れる点にあります。成績もそれなりに伴うケースが散見するので、長く走ってくれれば、それだけ賞金を稼いでくれる機会が増えるわけです。

 日本の場合、3歳以前に騸馬になるとクラシックレースには出走できないうえ、晩成タイプの馬が活躍しても種牡馬になれないので、海外に比べると騸馬の比率は少なくなっています。

 反して、香港からの出走馬に騸馬が多いのは、香港には馬産地がなく、種牡馬を生産する必要のないことが影響しています。昨年6月の「安田記念」に優勝した香港の6歳騸馬・ロマンチックウォリアーも、香港「騸馬」攻勢の結果でした。

 今から10年前の2015年3月、その香港から「高松宮記念」に出走するためやってきたのがエアロヴェロシティ、7歳の騸馬でした。レースでは4番人気でしたが、見事に制覇。現在まで、「高松宮記念」唯一の外国優勝馬であり、唯一の騸馬として記憶されています(なお、このレースでの最高齢優勝馬は2011年に優勝したキンシャサノキセキの8歳です)。