日本にもいた騸馬の名馬
では、ここで日本の代表的な騸馬を挙げておきましょう。
近年では2016年のチャンピオンズカップ、2017年の「JBCクラシック」で優勝したサウンドトゥルー、2018年の「フェブラリーステークス」で優勝したノンコノユメ、この両ダート馬でしょう。
しかし、その昔、私に「騸馬」という言葉を胸に刻印してくれたレガシーワールドとマーベラスクラウンの2頭の名を忘れてはいけません。
1989年生まれのレガシーワールド、翌1990年生まれのマーベラスクラウン。両馬に共通しているのは、3歳時(現2歳)までの成績が期待していたほどではなかったため去勢が行われ、その結果、レースに復帰するやいなや、その後の成績が急上昇、ともにジャパンカップを見事に制覇したことにあります。どちらも6番人気のダークホース的存在でした。
ジャパンカップ勝利後、レガシーワールドは故障等もあり戦績は急下降、惨敗を繰り返した結果、8歳(現7歳)で引退。余生は馬産地・北海道日高の地で送り、32年間の生涯を終えています。
一方、マーベラスクラウンのほうもレガシーワールド優勝の翌年のジャパンカップで勝利するも、やはりその後の成績が振るわず、最後は船橋競馬場に移籍しても勝てず、引退。
その後、一時乗馬となった後、やはり日高の地で余生を送り、17歳で没しています。馬名のような「すばらしい王様」のような日々だったことを願うばかりです。
レガシー(legacy)という言葉には「遺産、伝統」といった意味がありますが、私がこの言葉を覚えたのはレガシーワールドの存在があったのかもしれません。
ちょうど自動車メーカーの富士重工業(現・SUBARU)がレガシィを発売したのが1989年、レガシーワールドの誕生年と重なります。
競走馬として「世界的遺産」に相当するような活躍までには至らなかったし、JRAの顕彰馬にも縁遠かったものの、日本の競馬界において騸馬としての役割を十分果たしたレガシーワールドの存在は、私にとって忘れがたいものでした。
レガシーもマーベラスも種牡馬になれず、その血を子孫に遺すことはできませんでしたが、この両馬は私の胸の中で「マーベラスなレガシーホース」の記憶として遺されています。
(編集協力:春燈社 小西眞由美)