選手たちのオヤジになった日

「威厳を保たなくてはいけないとか、そういうことも大事なんだけど、もう僕くらいの歳になると、選手は勝手にそういう目で見てくれている。それよりも彼らがしっかり働けるように、いろんなことを話したり、その中で彼らに何か悩み事があれば解決するのを手助けしたりして、彼らをいかに野球に集中させるか、いかにこのチームを好きにさせて、このチームで勝ちたいという気持ちにさせるかに重きを置いてやっていたんですけどね」

 選手たちとの食事や飲み会にも積極的に参加した。若い選手から「今度、家に遊びに行っていいですか」と聞かれ、「おう、来い来い」と答えた。言ってはみたものの、「こいつら、本当に来てくれるかな?」と半信半疑だった。コーチやベテラン選手に「そういう機会があったら、一緒に連れてきてやってくれ」と頼んだりもした。

 初めは様子を窺っていた選手たちも、次第に心を開き始めた。2~3年すると、ちょくちょく中島の家に遊びに来るようになった。自分たちの飲み会を終えた後、いきなり「今から行ってもいいですか」と電話してきて、「何時だと思ってるんだよ。いいよ、来いよ」と笑いながら言うと、やって来て家に上がり込み、夜中まで一緒になって大騒ぎすることもあった。

 ある日、家に突然宅配のピザが届いたことがある。注文した覚えはない。「いや、中島さんの家に頼まれました」と言うので、「まあいいや、家族で食べよう」と思ってお金を払っていたら、選手たちが「もうピザ届きました?」と言って10人くらいで家に入ってきた。「お前ら、ふざけんなよ」と呆れながら、一緒になって食べた。そんな様子を奥さんもケラケラ笑いながら楽しんでいる。

「僕も嫁も、構えなくてもいい年齢になったんです。若い頃は人が来ると聞いたら掃除をしたり、あれこれ準備もしなきゃいけない。そういうのがもうなくなって、散らかっていたっていいじゃない、みたいな」

 ちょうど子育てを終えた時期だったので、子どもと同じくらいの年頃の選手たちは、本当に我が子のように思えた。

 初めは「大丈夫なのかな? ケジメがつくのかな」と不安はあった。でも、だんだん「こういうのもありかな」と思えるようになった。ただ、それを練習に引きずることはなかった。ひとたびグラウンドに出たら、選手がダラダラしていると思えば厳しく注意した。「そういう二面性もあっていいんじゃないかって思えたら、すごく自分が楽になれて」と言う。

 2度目の監督を引き受けてからは、シーズンが終わるたびに会社に進退伺いを出していた。「毎年『今年限り』と思ってやってきて、それがたまたま今年だったということ」と言うが、そこには中島なりの気遣いがあった。