両者が営業力の会社と言われるゆえん

大西:三木谷さんの創業の理念は「インターネットの力で地方の名店を銀座4丁目に」ですよね。

高橋:青いRも赤いRも、ビジネスモデルは「BtoBtoC」(注:リクルート・楽天→中小企業・店舗→消費者)であることも同じです。大手の広告代理店や百貨店は、そういう全国の小さな事業者さんのところまでは行きません。営業にものすごく手間がかかるからです。

 このモデルの特徴はとにかくクライアントの数が多いこと。テレビに広告を出せる企業はほんの一握りですが、リクルートの情報サービスや楽天市場にはその何百倍という数のクライアントがついています。

大西:それだけの数の会社を回るだけでも大変だ。両社が「営業力の会社」と言われるゆえんですね。

高橋:一見、効率悪いですよね。でもね、小学生の時、教科書を向かい合わせにして、パラパラとページを重ねる遊びをやりませんでしたか?重ねたページが数枚だとスポンと抜けてしまうけれど、百ページも重ねると、思い切り引っ張っても離れない。接点が増えて摩擦が高まり、抜けなくなるんです。

 リクルート事件の時、青いRは凄まじいバッシングを受けましたが、全国津々浦々のクライアントが「頑張れ」と応援してくれたことで、なんとか切り抜けました。

大西:まさにロングテール(注:薄く広く分布する多様なニーズを掬い上げるビジネス・モデルを指す。最も多くの人が集まる市場を狙うトールヘッド=高い頭=の反対)ですね。

高橋:そうです。インターネット・ビジネスの最大の強みはロングテールと言われていますから「青いR」と「赤いR」はどちらも、極めて「インターネット的な会社」と言えるのです。

大西:いきなり難しい話になりましたが、ちょっと時間を戻して、高橋さんが「青いR」に入社された経緯を教えてください。

高橋:僕は同志社大学の体育会本部の委員長をやっていたんです。50以上の部を束ねる組織ですね。卒業したのは1982年です。当時はどの企業も体育会系の学生を欲しがっていましたから、大抵のところには就職できました。

 ただ、学生時代があんまり楽しかったので「普通に就職するのは嫌やなあ」「終身雇用というのも、なんか違うなあ」と思っていて。

 そんな時、リクルートに就職していた先輩から「うちでバイトしないか」と誘われて、行ってみたらいい意味で、とてもいい加減な会社だった。自分が考えていた「就職」とは全然、イメージが違って「ここなら良いかも」と思っちゃった。

大西:1982年は社名がまだ「日本リクルートセンター」で、もちろん上場もしていないし、決して有名な会社ではありませんでした。

『起業の天才!江副浩正 8兆円企業リクルートを作った男』を上梓した大西康之氏