新人の7割が「入社3年以内に辞めるかも」と回答

高橋:僕の父親は、英語がよくわからんので、真ん中を飛ばして「日本センター」と呼んでました。同期入社の者の中には、親戚一同から大反対だった人もいました。「せっかく有名大学まで行って、なんでそんなワケのわからんところに」と。

大西:その頃、リクルートに入る人というのは、どんな人たちだったのですか。

高橋:面白い話があって。同期入社は200人くらいですが、リクルートの社内報「かもめ」がその新人たちにアンケートを取ったら、7割が「入社3年以内に辞めるかも」と答えたんです。もちろん、僕も7割の方でした。

 終身雇用が当たり前の時代にそんな奴らばかりが集まったというのも変だし、それをわざわざ社内報に載せる会社もどうかしている。

大西:配属はどこでしたか?

高橋:大阪の『住宅情報(注:「SUUMO」の前身の紙メディア)』です。リクルートは新人の立ち上がりが早いんです。何せリクルートの新卒は入社前から「NA」をやっていますから。

大西:「NA」って何ですか?

高橋:「内(N)定ア(A)ルバイト」

大西:そのまんまですね。

高橋:内定者をアルバイトで雇う。時給がかなりいいので、みんなやる。僕の場合、京都の「住宅情報」でした。社員もアルバイトも仕事にそれほど違いはありませんから、入社の4月1日には、バッチリ仕上がっている。

大西:入社翌年の1983年には読売新聞がリクルートの『週刊住宅情報』のライバルになる『読売住宅案内』を創刊して「Y戦争」が始まりますね。

高橋:あ、それは東京だけです。『阪神住宅案内』ならともかく。『読売』なんて大阪で出しても「帰れ」と言われます。売れるはずがない。だから読売は大阪には出てこなかった。僕ら関西リクルートは高みの見物ですよ。

 よく「リクルートの社員は仲が良い」と言われますが、あれ違います。当時、関西と関東はバチバチでした。僕ら社員の愛は専ら「リクルート」よりも、「住宅情報・関西版」とかに注がれていました。「会社愛」ではなく自分たちでつくり上げている「メディア愛」でした。

 自分が関わるメディアの売り上げをどう伸ばすかが肝心。売り上げを伸ばせば全員の前で大いに表彰されて、垂れ幕がドーンとオフィスに掲げられる。売り上げ至上主義でした。それで目標を達成した社員はみんなで褒めちぎる。

大西:そこがミソですね。

高橋:そう。表彰式で「どうやってこんなすごい数字を達成したのか」と聞かれ、必死に考えた秘密の作戦を得意げに語る。それを聞いて他の社員がマネをする。「こうやればうまくいくぞ」という情報が、あっという間に全体に共有される。まさにナレッジマネジメントです。