最年少横綱昇進が幻となった貴乃花
昭和49年(1974)に横綱となった北の湖は新大関から10勝、13勝(優勝②)、13勝(優勝同点=決定戦敗戦)で昇進。21歳2か月の史上最年少だった。一方、貴乃花は平成5年に新大関から11勝、14勝(優勝③)、13勝(優勝同点)と北の湖と同じ条件で星数が2勝上回っていながら、横審に諮問もされなかった。
このとき横綱昇進を果たしていれば20歳11か月だったので、最年少記録のタイトルをすべて保持することになったのだが。貴乃花は翌・平成6年(1994)に連続全勝優勝という抜群の成績を挙げることで、ようやく横綱の座が許された。優勝回数は大関以下では最多となる7回を数えていた。

当然のことながら、こうした基準の厳格化で横綱が生まれにくくなった。昭和期は約2年に1人横綱が誕生していたが、平成以降は約3年に1人とペースダウン。横綱不在の時期も存在し、横綱同士の対戦も激減してしまった。
今回昇進した豊昇龍は8勝、13勝(準優勝)、12勝(優勝②)で3場所合計33勝。平成以降では一番レベルの低い横綱昇進となった。1人横綱だった照ノ富士の引退や、10月にロンドン公演が予定されていることがフォローの風となったのは間違いないだろう。横綱は大相撲の象徴。過去の海外興行で横綱土俵入りが行われなかったことはなかったからだ。
これらの事実を踏まえると、豊昇龍の横綱昇進は時期尚早という批判をする気持ちもわからないわけではない。
しかし番付制度というのは東西にそろうことが基本。平成以降、1人横綱の時期が長かったことは、やはり昇進基準が厳しすぎた弊害のような気もする。時には4横綱時代も存在するなど、横綱制度とは必ずしも他のスポーツのチャンピオンのように、ナンバーワンを決めるものではない。
ここ数年、横綱・大関といえども臆することなく向かっていく下位力士は増えている。ある意味上位陣が好成績を続けることが難しい時代だともいえる。令和の新時代にふさわしい横綱制度をもう一度模索する時期にきているのではないだろうか。