連合軍は天皇の身柄をどうしようとしているのか…

 これでいよいよ日本の占領時代が本格的にはじまるわけです。

連合国軍総司令部から出るマッカーサー最高司令官(左端)(1947年12月、写真:共同通信社)

 ともかく、天皇とマッカーサーの会談は無事に済んだ、むしろ打ち解けたというのでほっとしたところはあったのですが、基本的にはこれからどうなるかについてはまったくだれも自信がありません。たったひとつあるのは、ポツダム宣言を受諾する際に日本側がつけた条件です。

「天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含し居らざることの了解のもとに」、つまり降伏後の日本における天皇の地位、国体が保証されることを確認したうえで受諾したことです。

 これに対する連合国側の返答は、「日本国の最終的の政治形態は、ポツダム宣言に遵い日本国民の自由に表明する意思により決定せらるべきものとす」でした。

 つまり、これからの日本の国のかたちは、国民の自由意思にまかせるといっています。国民が選べる、というのが唯一の頼みの綱でした。まあ実際問題として、これはすべて裏切られるのですが、この時点では「国民の自由意思」に国家の運命はかかっていたのです。

 ただ、国家のかたちはそうであったとしても、天皇の身柄については確実ではない。ではどうなるか、それがこの後緊要の大焦点になるわけです。

 その点について日本の指導者が知っているのは、戦争中にちょこちょこ発表されていた連合国の人たちの意見です。たとえば昭和19年10月、孫文の長男の孫科が「ミカドは去るべし」という論文を発表しています。

「天皇崇拝の思想は日本の侵略行動の真髄であるが故に、ミカドはその地位から去るべきである。……日本において、軍国主義と軍閥の力と天皇制とは、本質的に織り合わされているのだ」

 つまり軍国主義と天皇制は同じものであるから、全部つぶすべきだというのです。

 また、戦争が終わってから、中国の作家、林語堂はこう語っています。

「日本の民主主義を確保するためには、当然、今上天皇は廃位されねばならない」

 さらに中国の新聞「解放日報」は社説で主張しました。

「日本天皇は国家の元首であり、陸海空軍の大元帥であるから、戦争に対して負うべき責任はのがれることはできない」

 こういった意見が発表されていましたから、はたして連合国がどう出てくるか──天皇制をどうするのか、裕仁天皇の身柄をどうしようとしているのか──について、日本のトップはいてもたってもいられないほど疑心暗鬼になっていたのです。

 ちなみに、日本がまだ激しい抵抗を続けていた昭和20年6月の時点でのアメリカの世論はどうだったでしょう。戦争終了後、天皇の身柄をどうすべきかについて、6月29日のギャラップ調査によると、

処刑せよ 33%
裁判にかける 17%
終身刑とする 11%
外国へ追放する 9%
そのまま存続 4%
操り人形として利用する 3%
無回答 23%

 これはもちろん日本には知らされていませんが、アメリカの世論としては大半が天皇に責任あり、とする意見だったことになります。こういう厳しい状況下で、日本の戦後のあゆみがはじまったわけなんですね。

1935年、アメリカの心理学者ギャラップによって設立されたアメリカ世論調査所が行なう調査。少数でも正確なサンプリングがなされれば特性がつかめることを実証し、また無作為抽出による調査法を開発、科学的世論調査のパイオニアとされる。