ところが奥村勝蔵さんの手記をもとにした外務省の発表では、そんなことは言っていないことになっています。ですから現在でも、回想録はマッカーサーが勝手に書いたものと主張する人もいます。私はその外務省発表の時、朝日・毎日・読売の三紙から感想を求められ、ほぼ次のように答えました。毎日新聞に発表されたものを読み上げます。
「もし今回の記録(奥村報告のこと)が事実とすれば、マッカーサーが昭和天皇の人格に感動して日本の占領政策が決まったという事実が全否定されるわけで、日本の占領史を見直す必要がでてくる。だが、天皇が戦争責任に言及したという事実は、米側の記録ではマッカーサー回顧録のみではなく、公的文書にも残っている。諸外国から天皇の戦争責任を追及する声の高かった時期に、天皇本人が戦争責任に言及した事実が漏れたり、記録に残ったりすることを恐れた政府筋が、あえて記録上で伏せた可能性が残る」
食い違う日米の記録
つまり、この時は天皇の身柄がどうなるかわかっていませんでした。そんな時に戦争責任を負うなどという言葉を残して、それが相手の耳に入ってしまえば、本当に天皇が全責任を負うことになる可能性があります。そこで当時の政府筋が伏せた、奥村さんの記録から外したのではないか、というのが私の説です。
ところが「そうではない、天皇がそんなことを言うはずはない、最初から戦争責任などないのだから」と強く主張する人もいて、そうなると水掛け論ですが、ともかく日本側の記録としては、外務省の奥村報告、それとほとんど同じ内容の宮内省に残る記録とともに、天皇が戦争責任に言及していないことになっています。
ところが、アメリカ側の記録ではすべて言及したことになっているのです。とくに、私のコメントにある「公的文書」とは、会談1カ月後の10月27日にGHQの政治顧問ジョージ・アチソンがアメリカ国務省に宛てて打った極秘電報で、秦郁彦さんが発掘したものですが、それにはこうあります。
「天皇は握手が終わると、開戦通告の前に真珠湾を攻撃したのは、まったく自分の意図ではなく、東条(英機)首相のトリックにかけられたからである。しかし、それがゆえに責任を回避しようとするつもりはない。天皇は、日本国民のリーダーとして、臣民のとったあらゆる行動に責任をもつつもりだ、と述べた」
つまり、東京裁判がどうのこうのも無関係のこの時点で、すでにこのような電報が打たれているわけですから、おそらく天皇がそう言ったのは間違いないのではないでしょうか。加えて、会見の8回目以降に通訳を務めた松井明さんが残したメモには、「奥村氏によれば、余りの事の重大さを考慮して記録から削除した」と記されてもいます。
後編「天皇・マッカーサー会談、マッカーサーを感動させた昭和天皇の矜持」につづく。






