長い低迷期にも進化を遂げたカイゼン

 現場におけるカイゼンの効果は目覚ましかった。

 日本経済が1970年代と80年代に急成長を遂げたこと、そして今日でも製造業の幅広い分野でこれほど多くの日本企業が世界的な競争力を維持していることは、このカイゼンによる面が大きい。

 だが、ひょっとしたらそれ以上に驚異的なのは、バブル後の長い低迷期においてもカイゼンが進歩し続けたことかもしれない。

 金融の行き過ぎがあった時代が終わると、カイゼンは生き残るための強力な手段になった。

 苦しい時代に企業が品質の向上と工程のスリム化を同時に進める原動力になったのだ。

 そしてデフレが到来し、日本の製造業が国内市場で価格決定力を握れなかったことにより、コストカットは一種の職人芸に昇華した。

 コストとテクノロジーに長い間関心を寄せていた中国の製造業者は、こうした経緯をつぶさに観察し、カイゼンを自分たちのものにする方法を見いだした。

 ディープシークはソフトウエアのブレークスルー(飛躍的進歩)かもしれないが、少しずつ着実に進歩し続けるハードウエア・セクターに支えられた飛躍だ。

 中国による技術の取得は良く言ってもご都合主義で、悪く言えば卑劣だと主張する向きも多いだろう。

 あからさまな窃盗や強制が指摘されない場合でも(実際には指摘されることが多い)、外国企業はお粗末な組み立ての技術移転取引や知的財産(IP)を保護する自分たちの能力の過信によって主要な技術を失ってきた。

 だが、かなり前から、それだけではすべてを説明できなくなっている。