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(英フィナンシャル・タイムズ紙 2025年11月22・23日付)

 時は1630年代。アドリアーン・パウはオランダの首相のような人物で、けた外れの大金持ちでもあった。

 自分の富と趣味の良さを誇示するためにチューリップの庭園を作らせ、そこに何枚もの鏡を巧みに配置した。

 庭園の真ん中には最も珍しい種類のチューリップがまばらに植えられ、鏡によって数倍もの花の繁みのように見えた。

 あの当時、最も希少なチューリップの球根には家が1軒買えるほどの値段がついていた。パウのような富豪でさえ、普通のやり方ではこのチューリップで庭園を埋め尽くすことはできなかったのだ。

チューリップ・バブルのせいでバブル観が歪んだ?

 1636~37年のチューリップ・バブルは、金融バブルが語られる時に必ず持ち出される試金石となった。

 ひょっとしたらそのせいで、我々は「バブルはばかげている。明らかに愚かな行為だ。ちょっと考えれば誰でも分かる」というような誤ったバブル観を持ってしまったのかもしれない。

 確かに、チューリップ・バブルはばかげていた。大金を払ってチューリップの花を買ってもよいとパウのようなお金持ちが思うことがバブルの土台になっていた。

 だが、その根底にあるばかばかしさは投機家の欲ではなく、裕福な消費者の気まぐれだった。

 もし当時のオランダの上流階級が花に大金を払ってもよいと考えていたら、投資家が高額な球根を1つ買い求めることは本当にばかげていたと言えるだろうか。

 球根は増やすことができるし、増えた球根は珍しい花を咲かせるのだから。

 それに、自分ならもっと上手に立ち回れるなどと考えて、自分自身を欺くのはやめようではないか。

 チューリップ・バブルをめぐる有名な話の多くはビクトリア時代のジャーナリスト、チャールズ・マッケイと、そのマッケイが生き生きと、しかし誇張を交えて書いた著作『Extraordinary Popular Delusions and the Madness of Crowds(狂気とバブル―なぜ人は集団になると愚行に走るのか)』を介して伝えられた。

 そのマッケイは1840年代の鉄道バブルの頃に新聞の社説を担当しており、次のように書いて読者を安心させている。

「間違っているのは心配性の人々の方で、合法的な鉄道投機を恐れる理由は何もないと我々は考える」

 それからまもなく、1840年代のバブルは破裂した。ひょっとしたら、バブルかどうかを判定するのは、マッケイの著作からうかがえるほど容易ではないかもしれない。