宮脇綾子の芸術性を再検証

「生誕120年 宮脇綾子の芸術 見た、切った、貼った」展示風景 左から《かぼちゃの断面(絣)》1975年、《かぼちゃの断面(濃緑)》1974年 ともに知多市歴史民俗博物館

 国内外で高い評価を獲得したアプリケ作家・宮脇綾子。だが、宮脇が美術家として正当な評価を受けてきたかというと、決してそうとは言い切れない。現在でも彼女を「手芸の作家」として捉えている人も多いのではないか。

 そんな現状のなか、東京ステーションギャラリーにて「生誕120年 宮脇綾子の芸術 見た、切った、貼った」が開幕した。宮脇綾子の作品と資料約150点を紹介し、美術史のことばを使ってその作品世界を分析するという趣旨。宮脇綾子の芸術に新たな光を当てることを試みるという。

 展覧会開催の経緯について、東京ステーションギャラリー冨田章館長がこんなエピソードを聞かせてくれた。

「宮脇作品を数多く所蔵する豊田市美術館を訪ねた時に“すごい作家がいる”と聞いて、初めて宮脇綾子さんの作品を見た。すごいなんていうものじゃない、とんでもない作家だと驚いた。これはいずれ、東京ステーションギャラリーで展覧会をやらなければならないと思った」

 初見で展覧会開催を決意するほどの衝撃を受けたという冨田館長。宮脇綾子作品の特質をこう分析する。

「宮脇さんの作品には野菜や果実の断面をモチーフにしたものが多い。野菜や果物を半分にすることは、行為としてはささやかなものだが、対象の中身に対する関心、好奇心、探求心の表れといえる。レオナルド・ダ・ヴィンチが人体解剖を試みたり、レンブラントが皮を剥いだ牛を描いたりする行為と同質のもの。鮫を半分に割ってホルマリン漬けにしたダミアン・ハーストと通じると言えるかもしれない。この探求心というものはアーティストにとって欠かすことができない重要な素質だ」