情報独占がもたらす弊害
ここで取り沙汰されている記者クラブですが、特定の組織や団体に所属する記者たちが独占的に取材できるこの特権的な制度には、かねてから批判が寄せられていました。
日本の記者クラブの歴史は思いのほか古く、1890年代に大阪で誕生した新聞記者の親睦団体が起源だそうです。当時、新聞記者たちの社会的地位は低く、取材活動も個人的な人脈に頼らざるを得ない状況でした。記者たちは互いに協力し、情報を共有することで、より効率的な取材活動を目指したのです。
1920年代になると、東京の官庁に「記者室」が設置されるなど、制度化の方向に進んでいきます。政府としても、複数の新聞社に同じ情報を効率的に伝達する必要があり、記者クラブの存在は都合が良かったのです。
しかし、戦時体制下で記者クラブの性格は大きく変質します。情報統制の手段として組み込まれ、実質的な官製広報機関として機能するようになります。記者たちは政府の発表を伝えるだけの存在となり、批判的な報道は困難になっていきました。
敗戦後、GHQは民主化政策の一環として記者クラブの廃止を検討したそうです。閉鎖的な情報伝達システムは、民主主義の理念に反するというわけですね。しかし、実際には記者クラブは温存され、むしろ戦後の報道体制の中で制度的に強化されていきました。
この背景には、複数の要因が絡み合っています。まず、官僚機構側には情報を一元的に管理したいというニーズがありました。また、大手メディア各社も、既得権益として記者クラブを維持したい意向が強かったのです。政府としても、ある程度コントロールの効いた形で報道活動を管理できる仕組みとして、記者クラブは都合が良かったわけです。
結果として、戦前から続くこの閉鎖的な情報伝達システムが、皮肉にも民主主義体制下でより強固に制度化されることとなりました。この歴史的経緯が、現代の記者クラブが抱える構造的問題の源流です。