
(ライター、構成作家:川岸 徹)
ル・コルビュジエの40歳以降、いわゆる円熟期の創作にスポットをあてた展覧会「ル・コルビュジエ―諸芸術の綜合 1930-1965」。ル・コルビュジエ財団の協力のもと、ゲスト・キュレーターにドイツの美術史家ロバート・ヴォイチュツケを迎え、パナソニック汐留美術館にて開幕した。
近代建築の父、ル・コルビュジエ
ドイツのミース・ファン・デル・ローエ、アメリカのフランク・ロイド・ライトとともに近代建築三大巨匠の一人に数えられる建築界の巨人、ル・コルビュジエ。2016年には、ル・コルビュジエが手がけた計7か国に点在する17の建築物が世界文化遺産に登録。そのなかには1959年に完成した日本唯一のコルビュジエ建築、国立西洋美術館も含まれている。
偉大な建築家として世界中に知られるル・コルビュジエだが、同時に絵画や彫刻にも優れた作品を残す芸術家でもあった。まずはその経歴をざっと振り返ってみたい。
本名シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ=グリ、後のル・コルビュジエは1887年にスイスで時計職人を営む父とピアノ教師の母の元に生まれた。スイスのラ・ショー=ド=フォンの美術学校に通い、在学中より画家としての才能を発揮するが、美術学校校長のすすめで建築の道へ。
1908年に渡仏し、“コンクリートの父”と呼ばれるフランスの建築家オーギュスト・ペレに師事。その後、ドイツに渡り建築家・デザイナーのペーター・ベーレンスの元で働いた。1914年には鉄筋コンクリートによる建築技法「ドミノシステム」を発表。これは水平の層をつくる床面(スラブ)、柱、階段のみが建築の主要な要素とする考え方で、建物の構造を単純化することにより、建築物はより自由で大きな空間を得られるようになった。
1917年、ル・コルビュジエは彼の従兄弟で建築家でもあるピエール・ジャンヌレとともに建設事務所を設立。1926年には、①ピロティ②屋上庭園③自由な平面④自由な立面⑤連続水平窓の設置を提唱する「近代建築の5原則」を発表し、今までにない革新的な建造物を生み出していく。こうしてル・コルビュジエは近代建築の父と呼ばれる存在になった。

建築家として名を馳せたル・コルビュジエだが、画家としての活動も精力的に継続していた。1913年、パリのサロン・ドートンヌで水彩作品による「石の言葉」展を開催。同年にはデッサン教師の資格を得ている。1918年から10年間は画家アメデ・オザンファンと芸術運動「ピュリスム」を展開し、絵画の制作に励んだ。1930年代以降は、午前中は絵を描くことに時間を費やし、午後から建築の仕事を開始したという。