担い手が失われてしまった文化を守るのはAI

 実はこうした「AIの学習に足りないデータを補うために、生成AIに新たな学習データを生成させる」という取り組みは、いま一般的に行われるようになっている。そうして生み出されたデータは「生成データ」と呼ばれ、元々のAIの精度を上げるための補完データセットとして使用されている。

 NüshuRescueでも実際に、このNCSilverを使用した精度向上が取り組まれており、今後正答率の改善が期待されている。

 ちなみに、今回の研究成果は、NüshuRescue本体だけでなく作成・生成されたデータセットも含めて公開されており、女書と同じように絶滅の危機に瀕していたり、AIに学習させるデータが限られていたりする他の言語への応用することも期待されている。

 アイヌ語においても、その保護にAIの力を活用しようという取り組みが生まれている。

 たとえば京都大学は、2020年10月に、「人工知能によるアイヌ語の自動音声認識・合成に成功」というプレスリリースを発表している

 それによると、京都大学の研究グループは、アイヌ民族博物館と平取町立二風谷アイヌ文化博物館から提供された計10名・約40時間の民話(ウエペケㇾ)の音声データを分析。機械学習技術を活用することにより、94%の音素認識率・80%の単語認識率を実現したという。

 また音声データのうち1人当たり10時間以上ある話者については、音声合成にも成功したそうだ。この技術により、「アイヌ語に誰もが触れやすい環境の整備」が促されたり、アイヌ語の伝承・学習などの幅広い場面で支援が進んだりすることが期待されるという。

 これからますますAI技術が発展するであろうことを考えると、ダートマス大学や京都大学のような取り組みが、今後も進むと予想される。ただ、そうしたテクノロジー活用の取り組みを後押しするためには、そもそも言語を守ることがなぜ必要かをアピールしていかなければならない。

 たとえば女書の場合、前述の通り、それは女性たちの生活や感情、社会的背景を反映して育まれてきた、独自の文字文化となっている。その保存は、過去の社会構造や女性の地位、日常生活を理解する上で不可欠と言えるだろう。

 逆にそれが失われてしまえば、そこに記録されてきたマイノリティ視点の歴史が抜け落ちることとなり、大げさに言えば人類全体にとっての損失にもなりかねない。

 前述の通り、ユネスコは世界の言語の状況について独自の調査を行い、レポートを発表するなどの対応を行っている。また毎年2月21日を「国際母語デー」と定め、言語と文化の多様性を促進する活動を展開している。

 さらに各国の消滅危機言語については、実態調査や保存・継承のためのプロジェクトを支援し、言語の記録や教育プログラムの開発といった保護活動も行っている。

 ユネスコは日本でもすっかりお馴染みとなった「世界遺産」の取り組みも進めているが、物理的な建築物や地形と同様、言語も一種の「遺産」として保全に取り組んでいるわけだ。

 AIは私たちのさまざまな行動を代替する一方で、そもそもその担い手が失われてしまった文化を、人間に代わって担っていく役割も負っていくことになるだろう。最先端の技術が古い歴史を守る、そんな光景も普通になっていくのかもしれない。

【小林 啓倫】
経営コンサルタント。1973年東京都生まれ。獨協大学卒、筑波大学大学院修士課程修了。
システムエンジニアとしてキャリアを積んだ後、米バブソン大学にてMBAを取得。その後コンサルティングファーム、国内ベンチャー企業、大手メーカー等で先端テクノロジーを活用した事業開発に取り組む。著書に『FinTechが変える! 金融×テクノロジーが生み出す新たなビジネス』『ドローン・ビジネスの衝撃』『IoTビジネスモデル革命』(朝日新聞出版)、訳書に『ソーシャル物理学』(草思社)、『データ・アナリティクス3.0』(日経BP)、『情報セキュリティの敗北史』(白揚社)など多数。先端テクノロジーのビジネス活用に関するセミナーも多数手がける。
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