河口の中洲でナクトゥンガンは左右に流れ分かれている。

 左側の河道に10門、右側の河道に5門。乙淑島の先には、河口の外にも干潟が点在する。水生動物だけではなく、渡り鳥にとっても重要な餌場であり休息地だ。そんなナクトゥンガン河口を、堰が1987年に塞いだ。

「水が遮断され、汽水域で生息するシジミ、穴子、鮭、鮎がほとんどいなくなった。かわりに湖に生息する淡水魚が増えた。川底が腐敗し、アオコや悪臭が発生し、水道水の取水に問題が発生した」とカン代表は述べた。

 後述する市民運動と政治決断の結果、現在、開門されているのは、左側の河道(幅510m)のうち1門。満潮に合わせて堰を上げ、海水を遡上させ、汽水域を復元していく試みだ。現在は、15キロ上流の農業取水口「大渚水門」の手前まで、遡上が確認されている。

 2021年に始まった「大渚水門」の改修工事が2025年に終われば、農業用水への塩分侵入を防ぐ選択取水が可能となり、20km上流まで汽水域を取り戻せる。協議会としては、河口堰建設前に利用されていた「金海平野運河取水口」を再利用できれば、汽水域を23km上流まで広げられると考えているが、その予算がつかないという。協議会ではそれよりもさらに汽水域を広げる方策も見据えている。

「金海平野運河取水口」による汽水域拡大の可能性について説明を受ける視察団一行(2024年8月28日筆者撮影)
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「川、海と出会う」から動いた河口堰の開門

 視察終盤で知ったのだが、協議会は、単なる非営利組織ではなかった。2012年に発足。以来、河口堰開門に向けた世論作りを行なってきた。2013年には、ナクトゥンガン河口堰完成後の生態系変化の調査、2014年からは汽水域の復元方法(全面開門、段階的開門、条件付き開門)の検討を行なった。

 そして、大きなうねりが2015年に来た。同年8月、全国から人々が集う「川の日大会」を開催。テーマは河口堰の開門で、スローガンは「川、海と出会う」だった。

 9月、釜山市長が「ナクトゥンガン河口堰開門宣言」を行い、翌10月には宣言の実行に向けた「河口堰開門推進タスクフォース」を庁内に発足させた。

 さらに、外部委員からなる円卓会議も設置。市民、環境団体、農業従事者、漁業者、大学教授、研究機関、関連機関から33人で構成された。河口堰開門と汽水生態系の復元に伴う懸案を討議した。