昔の名前で出ている不思議さ
こういう事情を踏まえて原本の写真を見てみると、「天正五 明智」の部分だけ墨が薄いのが気になる。
戦国時代の古文書は、年次や苗字を省いて書かれていることが多い。
しかも始末の悪いことに、古文書を保管する江戸時代の人々が「あとから誰が見ても間違えないようにしよう」と考えて、ご親切にも年次や苗字を加筆していることがある。
①【実際に光秀が「明智」と書いた可能性】と、②【光秀は下の名前しか書かなかった可能性】のどちらが正しいだろうか。みなさんも考えてみてほしい。
【乃至政彦】ないしまさひこ。歴史家。1974年生まれ。高松市出身、相模原市在住。著書に『戦国大変 決断を迫られた武将たち』『謙信越山』(ともにJBpress)、『謙信×信長 手取川合戦の真実』(PHP新書)、『平将門と天慶の乱』『戦国の陣形』(講談社現代新書)、『天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった』(河出書房新社)など。書籍監修や講演でも活動中。現在、戦国時代から世界史まで、著者独自の視点で歴史を読み解くコンテンツ企画『歴史ノ部屋』配信中。