ユダヤ教の宗教儀式「パスオーバー」とは何か
「パスオーバー」とはエジプトで奴隷になっていた60万人以上、いやおそらく100万人超のユダヤ人達がモーゼに連れられてエジプトを脱出する、その直前にあった事件が元になっている。
脱出を認めないエジプトのファラオに対し、神は懲罰の決定打を与えられた。その決定打というのが、エジプト中の家庭において、その家庭の第一子がすべて原因不明の死を遂げるというものである。
神はファラオにもその懲罰をお与えになり、ついにユダヤ人の奴隷達は脱出を勝ち取ることができた。そこで出てくるのが、「パスオーバー」という場面である。
そしてユダヤ人達は、それから数千年経った今日に至るまで、毎年春の一時期に「パスオーバー」の儀式をおこない、エジプト脱出の苦難を現代においても再現する。民族の、特に祖先の苦難をもう一度嚙みしめる儀式が、毎年春に巡って来る「パスオーバー」の儀式なのである。
その儀式の中心が、セイダーという貧しい食事である。晩餐と呼べるような豪華なものでは決してない、きわめて貧しい食事をユダヤ人達は現代に至るまで毎年約1週間ほど食べ続け、エジプト脱出の祖先の苦労を追体験する。
祖先はエジプト脱出の時に、着の身着のまま慌てて脱出したので、パンにイースト(酵母菌)を入れて焼く時間すらなかった。そのために酵母菌を入れてふっくらと焼かれたパンではなく、酵母菌を入れないカリカリのクラッカーのようなぺしゃんこの固いパンを食するのである。それをマッツォ(Matzo)という。
このダ・ヴィンチの絵のテーブルの上に置かれている、パンのように見えるものがマッツォである。いかにもガチガチに固まって干からびているように見えるが、これこそユダヤ人がエジプト脱出の際に作ったパンの固まりの姿そのものなのである。
そしてユダの前に、ユダが誤ってひっくり返した塩の壺がある。この塩はなぜセイダーのテーブルの上に載っているかというと、この塩の粒を皿の中に溜まっている水に振りかけて、それに苦い菜っ葉(苦菜)を浸して食べるというセイダーの儀式があるからである。
この塩水こそ、ユダヤ人がエジプトでの苦難の期間に流した汗と涙を象徴する塩水といわれている。だからテーブルの上には塩が置かれているのである。
決定的証拠は、“食べることのできない”焼骨片(Shankbone:シャンクボーン)がいくつかの皿の上に置かれていることである。ユダヤ人がこの絵を見れば、肉を食べた後の骨ではなく最初から皿の上に置かれていたのだと、すぐに察することだろう。
我々ユダヤ人はかつてエジプト脱出の際に、身の回りの道具や着替えもろくに持たず、この羊の足の骨やガチガチのパンを持ち、家を捨てたのである。