『最後の晩餐』をユダヤ人はどう解釈するのか?
ここに描かれている全員は、キリストも含めてすべてユダヤ人である。ただし、彼等はオーソドックスなユダヤ教徒(正統派ユダヤ教徒)ではなく、キリストを中心とする新興新派のユダヤ教徒である。
2枚目の方の絵を注意して見れば、おかしなことに気が付くであろう。テーブルの上には豪華に盛り付けた皿はなく、ポツポツと貧相なパンのようなものなどが置かれているだけである。
晩餐というにはまったくそれらしい料理が置かれていない。それなのに、この絵を「最後の晩餐」と言うのはまったくおかしい。それとも、これから給仕が料理を運んでくるというのであろうか。
だがそれも、一流のホテルで食事をしている訳ではあるまいし、そもそもダ・ヴィンチが描いているこの絵画の中に、給仕などという者は存在すらしていない。
実はユダヤ教徒の間では、これは自分達にとって重要な宗教儀式である「パスオーバー(Passover:ヘブライ語でペサハ〈Pesach〉)」のセイダー(Seder:イギリス英語ではセダー)の場面を描いたものだと固く信じられている。だからこそ、テーブルの上には料理らしいものがほぼ置かれていないのである。
キリストを始めとした全員が正統派ユダヤ教徒ではないとしても、ユダヤ教徒なら誰もがおこなう宗教儀式「パスオーバー」の食事・セイダーの場面をキリストが主催しているのが、この絵である。
これがユダヤ教徒の解釈で、たしかにこの時点でキリスト自身もその弟子達も「キリスト教」という新しい宗教を創設しておらず、彼等はユダヤ教の新興一分派という位置づけに過ぎなかった。
ここで、「パスオーバー」とは何か、セイダーとは何かについて、話しておかなければならない。それこそが、この絵の主題だからだ。