私はマレーシアの邦字紙記者や日本の商社勤務を経て1999年に西日本新聞の記者になった時から、調査報道を志してきた。医療や教育、安全保障、外国人労働者を巡る問題などに取り組んできたが、データを解析する際は同僚とペアやチームを組むのが定番だった。
よみがえる、旧優生保護法下の強制不妊手術を取材した記憶
しかし、北京特派員は私だけ。駐在記者の電話やメール、SNSのやりとりは当局に筒抜けと言われており、取材テーマの性質上、生データを日本とやりとりするのもはばかられた。一人で挑むしかなかった。
ミス防止のダブルチェックも含め、作業量の多さに途中でぼうぜんとした。そんな時、「卵管結紮人数」「精管結紮人数」といった統計項目をみると、旧優生保護法(1948~1996)下の日本で、知的障害や精神疾患などを理由に障害者らへの強制不妊手術が繰り返された問題の取材をした際の記憶がよみがえった。
涙を流しながら取材を受けてくれた当事者の中には、強引に中絶手術を受けさせられた人もいれば、状況がよく飲み込めないままだったり、親族に説得されたりして不妊処置を受けた人もいた。パソコンに入力する一つ一つの数字に、一人一人の人間がいる。そんな当たり前のことを思い浮かべて気合を入れ直した。
>>後編「『ウイグル不妊強制か』のスクープ誕生秘話!わずか4年で不妊手術件数18.8倍の証拠は政府統計に【後編】」に続く