習近平指導部は宗教を潜在的脅威と捉えている(写真:新華社/共同通信イメージズ)

世界第2位の経済大国であり、日本にとって最大の貿易相手国である隣人・中国について知ることは、これからの日本の活路を考える上で欠かせない。三国志好きの新聞記者が、ゆかりの史跡・名勝、緊張走る国境地帯や新疆ウイグル自治区などを歩く。渾身のルポルタージュから見えてきた現代中国の深部とは——

※本稿は『三国志を歩く 中国を知る』(坂本信博著、西日本新聞社)より一部抜粋・再編集したものです。

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「農民の生活困窮から内乱」を繰り返してきた中国

 中国は、王朝が衰退する過程で農民の生活が困窮し、内乱が起きる歴史を繰り返してきた。そして、歴代王朝のほとんどが農民の反乱が引き金となって興亡した。農民たちの暴動で直接的には政権が倒れなくても、政情不安が増して王朝の権威が失われ、やがて王朝の交代につながったパターンもある。

 最初の統一王朝となった秦王朝が滅亡したきっかけも、農民の反乱「陳勝・呉広の乱」だった。紀元前209年、北方の防衛の兵士として駆り出された農民たちが大雨で先に進めなくなり、目的地に到着する期限に遅れて処刑されるくらいならと蜂起。最初は900人だったがやがて数万の軍勢となった。この混乱の中で旗揚げした劉邦が後に前漢王朝を興した。

 黄巾の乱以外にも、宗教で結びついた民衆の反乱がいくつも起きている。

 14世紀半ばの元王朝末期、白蓮教などの宗教結社が起こした「紅巾の乱」、18世紀末から19世紀初めの清の時代の「白蓮教徒の乱」、19世紀半ばの清の時代に発生し、2000万人以上が命を落とした「太平天国の乱」、そして、日本や欧米諸国の8カ国連合軍が中国に出兵し、植民地化が進むきっかけとなった1900年の「義和団事件」もそうだ。

 中国メディア関係者は「共産主義も当初は一種のカルト宗教のようなものだったが、労働者の支持を得て革命を成功させて、現代の王朝になった」と語る。

 中国共産党は農村を支持基盤として発展した。20世紀前半の中国国民党との内戦で、中国共産党の創立党員の1人だった毛沢東は「農村から都市を包囲する」というスローガンを掲げて農民の支持を集め、革命を推進した。1940年代には農民や労働者であることが中国共産党の入党の条件で、1949年の中華人民共和国建国時は約449万人の党員の約半数が農民だった。

 毛沢東の没後、最高指導者となった鄧小平(1904~1997)が打ち出した改革・開放政策で社会の表舞台に躍り出た民間企業家の入党を2002年に認めて以降、農民や労働者のための「階級政党」という中国共産党本来の性格は薄まった。それでも、現代の習近平指導部も農村を重視しているのは間違いない。