清代の書物に描かれた張角。太平道の教祖として、三国時代のきっかけとなった「黄巾の乱」を率いた

世界第2位の経済大国であり、日本にとって最大の貿易相手国である隣人・中国について知ることは、これからの日本の活路を考える上で欠かせない。三国志好きの新聞記者が、ゆかりの史跡・名勝、緊張走る国境地帯や新疆ウイグル自治区などを歩く。渾身のルポルタージュから見えてきた現代中国の深部とは——

※本稿は『三国志を歩く 中国を知る』(坂本信博著、西日本新聞社)より一部抜粋・再編集したものです。

「何のためにここに来た?」警戒される外国人

 中国で後漢王朝(25~220)が衰退し、三国時代が始まるきっかけとなった「黄巾(こうきん)の乱」。太平道と呼ばれる宗教結社の教祖で、後漢王朝への反乱を起こした張角(ちょうかく)は三国志の漫画や小説では、世を乱した悪人として描かれることが多い。

 その墓が今でも残っていると聞き、河北省定州(ていしゅう)市に向かった。

 北京から南西へ約200km。中国版新幹線の高速鉄道で1時間余りで定州東駅に着いた。

 三国志の聖地を巡る旅を始めたこの時(2022年9月)はまだ、新型コロナウイルス禍が世界を覆っていた。中国の習近平指導部は、厳格な移動制限や感染者の隔離などでウイルス感染を徹底的に抑え込むゼロコロナ政策を続けていた。

 地方の町に外国人が姿を現すと、警戒されることが多かった。案の定、中国人の一般乗客とは別の場所に案内され、「中国に来たのはいつ?」「何のためにここに来た?」「訪問先の約束はあるのか?」と駅の警備員から質問攻めに遭った。

 新型コロナウイルス対策を名目に追い返されてはかなわないと思い、中国産ワクチンを3回接種済みであること、48時間以内のPCR検査陰性証明があることなどを30分かけて説明した。

 駅前の防疫検査所でPCR検査と抗原検査を受けることを条件に解放されたころには、一緒にホームに降り立った数十人の乗客は1人もいなくなっていた。

 駅前で客待ちをしていたタクシーの運転手の男性に「張角の墓がある七級(チージー)村まで」と伝えると「張角って誰?」。こんなこともあろうかと、スマートフォンの地図アプリで事前に調べていた張角の墓の位置情報を伝え、スマホをカーナビにして出発した。

 小さな食堂や店舗が並ぶ町を抜け、材木やれんがを満載したトラックを追い越してタクシーは進む。北京などの大都市と違って道路の整備が遅れているのか、車体が時折激しく揺れた。両脇にトウモロコシ畑が広がる一本道を疾走する。

トウモロコシ畑の中の一本道をタクシーで進む

 出発から50分後、カーナビに「目的地まで70m」の表示が出たところで行き止まりに。近くの小さな雑貨店で店番をしていた女性に尋ねると「張角の墓? この裏ですよ」と店の外に出て案内してくれた。