「民衆が立ち上がるきっかけをつくった革命家」と研究者
塚の周りには、真新しい銀色の案内板があり「張角墓」と書かれていた。すぐ隣に「漢中山王墓」という石碑もあった。この中山王とは、劉備につながるとされる漢の皇族だ。反乱を起こした張角と、討伐で名を上げた側の縁者の碑が並んでいることに歴史の皮肉を感じた。
「史跡を損壊すると罪に問われる」と書いた警告板もあり、塚の周囲はセメントで固められていた。2022.8.16と日付が刻まれている。2022年に整備されたばかりのようだ。なぜセメントで固めているのか。張角の墓に詳しい中国の歴史研究者によると、魔よけのため、住宅の建材として張角の墓の土を勝手に持って行く人が後を絶たなかったという。
この研究者は、張角が時代を超えて庶民に慕われる理由を「異常気象による飢餓に苦しみ、政治の腐敗に不満を募らせた民衆が立ち上がるきっかけをつくった革命家だった」と説明する。
革命家という言葉がさらりと出てくるところに、中国らしさを感じた。張角=「民を惑わす邪教の教祖」という構図は、黄巾軍を鎮圧し、歴史書を書いた勝者側の視点なのかもしれない。
>>後編「なぜ中国当局は宗教を警戒するのか 太平道の教祖・張角の墓を探し河北省定州市で記者が見た光景【後編】」に続く