世界第2位の経済大国であり、日本にとって最大の貿易相手国である隣人・中国について知ることは、これからの日本の活路を考える上で欠かせない。三国志好きの新聞記者が、ゆかりの史跡・名勝、緊張走る国境地帯や新疆ウイグル自治区などを歩く。渾身のルポルタージュから見えてきた現代中国の深部とは——
※本稿は『三国志を歩く 中国を知る』(坂本信博著、西日本新聞社)より一部抜粋・再編集したものです。
三国時代から中国の安定にとって重要な地域
中国西北部に広がる新疆ウイグル自治区は、中原の人から「西域」と呼ばれていた地方に当たる。ただ、陳寿の三国志に西域伝(西戎伝)はない。
陳寿が仕えた晋の高祖である司馬懿の政敵だった曹爽の父曹真が、諸葛亮と結んだ西域諸国をけん制して大きな功績を挙げた事実を隠すため、あえて西域伝を書かなかったとされる。裏を返せば、西域は当時から中国の安定にとって重要な存在だったという証しでもある。
現代の新疆も古代から、漢族の中国と時に血で血を洗う政治的交流が続いてきた地域だ。唐王朝を滅亡寸前まで追い込んだ755~763年の大規模な反乱「安史の乱」の際には、唐王朝はウイグル族に援助を求めて態勢を回復し、乱を鎮圧している。
現代中国の6分の1ほどを占める面積に、ウイグル族を中心に約2600万人が暮らす新疆には原油や天然ガス、レアメタル(希少金属)といった豊富な地下資源や広大な農作地がある。
14億人もの人口を抱える中国政府にとって新疆は、国境地帯であることに加え、エネルギー安全保障や食料安全保障の面でも要衝の地なのだ。事実、主権や領土などの問題で絶対に譲れない「核心的利益」の一つに新疆を挙げている。
自治区の西に位置する中央アジアを通じて「宗教過激主義」が流入することも強く警戒してきた。
ウイグル族は新疆の人口2587万人(2022年)の約45%を占めるトルコ系民族で、大多数がイスラム教徒。自治区に当たる地域は、18世紀に清王朝が征服し19世紀に新疆省が設置された。
中華民国時代の1933年と1944年に「東トルキスタン・イスラム共和国」などとして独立を宣言したが、1949年に中国人民解放軍が進駐し1955年に新疆ウイグル自治区が成立した。