このタイミングで、ダイエーホークスの親会社のダイエーも経営危機に陥った。渡邉オーナーは、ダイエーとロッテ、あるいは西武の「もう一つの合併」にも動いた。こういう形で「1リーグ10球団」構想が少しずつ形になりかけていた。
巨人戦の恩恵を全球団で分け合おうとする「1リーグ構想」
水面下で巨人が主導した「1リーグ構想」のビジネスモデルは、これまでセの5球団だけが享受していた巨人戦の「放映権収入」の恩恵を、9球団に拡げようとするものだった。
当然、新たな収益が見込まれるパ・リーグ球団は「1リーグ構想」に賛同。これに対し、巨人戦の試合数が減ると想定される巨人を除くセ・リーグ5球団は反対の意向を表明。
これを受けて巨人の渡邉恒雄オーナーは、巨人のパ・リーグ移籍の可能性にも言及した。
後年の視点でいえば、この時期の各球団経営者の動きは極めて近視眼的だったと言える。
前述したとおり、21世紀以降、巨人戦の視聴率は急速に下落していた。民放各局は地上波での巨人戦の放送本数を急速に減らしていた。「巨人戦の放映権恃み」の従来のプロ野球のビジネスモデルは、すでに破綻していたのだ。
それにもかかわらず、発表された「1リーグ10球団構想」は、相も変わらず「巨人戦の放映権」を主たる収入源と想定したものだった。
当時の球団経営者の多くは「放映権ビジネス」を離れた新たなビジネスモデルを創出しようという意欲も才覚もなかったということになろう。