「無礼な! たかが選手が」

 2004年6月のプロ野球実行委員会では、近鉄とオリックスの合併が承認された。

 古田敦也委員長率いる労働組合・日本プロ野球選手会は、これに猛反発し、ストライキも辞さない強硬な姿勢を示した。

 7月、選手会を代表して「オーナーと直接、話をする機会を持ちたい」との意向を示した古田敦也委員長に対して渡邉恒雄オーナーが発した「無礼な! 分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が!」という発言によって、世論は一気に選手会側に傾いた。

球界再編を主導した読売ジャイアンツの渡邉恒雄オーナー(当時。写真:共同通信社)
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 労働組合・日本プロ野球選手会は8月12日にスト権を確立、9月9日、10日にストライキを敢行した。

真剣な表情で経営者側との協議に臨む(右から)日本プロ野球選手会の古田会長、礒部近鉄選手会長、三輪オリックス選手会長=2004年9月10日午前、大阪市北区の大阪国際会議場(写真:共同通信社)
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 この時期「1リーグ化反対」の意向を示していた阪神は、「球界再編反対」のヘッドマークを付けた阪神電車を走らせていた。

一場問題でオーナー職を辞職

 渡邉恒雄オーナーはストライキが敢行される前の8月13日に、明治大学の投手、一場靖弘に巨人が200万円の裏金を渡していたことが明るみに出て、責任を取ってオーナー職を辞職、この事件の表舞台から姿を消す。

 ストライキを経て、ライブドア、楽天という「新規参入」を希望する企業が名乗りを上げ、楽天がパ・リーグに参入することが決まり、プロ野球はセ・パ12球団体制を維持し、存続することとなった。

 MLBは1952年までア・ナ16球団で運営されてきたが、そこから次々と球団数を増やし、現在はア・ナ30球団になっている。1952年にはMLB全体で1463万人だった観客動員は、2024年には7344万人余と5倍になっている。

 MLBはエクスパンションによって新しいフランチャイズ、顧客、マーケットを獲得した。そして球団が増加することでより多様な対戦カードを顧客に提示することができ、コンテンツも充実したのだ。

 これに対して2004年のNPBは2リーグ12球団を1リーグ10球団に縮小させようとした。その根底には「自分たちの権益を維持、存続させたい」という経営者の思惑があったが、ベンチャースピリットのかけらもない、こうした経営姿勢でNPBが運営されたとすれば、史上最多の観客動員を記録した、今年の盛況はあり得なかっただろう。

 NPB史上唯一の「ストライキ」は確かに「劇薬」ではあったが、これによって古いビジネスモデルが一掃されたのは間違いない。2004年は日本プロ野球、最大の転換期になったと言えよう。

 この稿は、当時の各新聞社記事、および日本経済新聞社刊「球界再編は終わらない」を参照した。