お役人が作る空回り必定の念仏を唱えても日本の教育は一向に改善しない(svklimkinによるPixabayからの画像)

 前回稿「有名校でも危ない:少子高齢化で2050年まで生き残る大学と潰れる大学」には様々な反響を頂きました。

 2050年を目指した大学改革と高等学術の戦略展開、一番のポイントは文部科学省の官僚作文のような代物ではありません。

 よく「士業が危ない」とか「完全な自動翻訳が出てきたら」とか、寝言にもならない戯言も目にしますが、本質は全く違うところにあります。

 社会全体としては「国際AI化社会が定着した段階で、多国籍情報コングロマリットの草刈り場にならないこと」。

 個人のキャリアプランとしては「AIに使われるインフラ労働力に回収されないこと」。

 これらを第一に、向こう30年間の人材育成を義務教育以前の根幹から問い直し、実装する仕事を甘利俊一先生を筆頭に先達のご指導をいただきながら、私たち東京大学チームは進めています。

 いま新卒の諸君が取締役になる時代までの一世代を「新ロスジェネ=帰って来た失われた30年」とするのでなく、どのように、グローバルに、イニシアティブを取り戻していくか――。

「大学サバイバル」といった観点では、「私大文系」の話題を取り扱うのが一番のボリュームゾーンになりますが、今回はそうではなく、日本が世界に再浮上するカギを握る「理系・大学院」がどのようなリスクに直面しているかを平易に解説してみたいと思います。

これはゴジラの二番煎じ?

シン・ニッポンイノベーション人材戦略

 以下、今年の6月に文科省が公開した『2050年を見据えた「シン・ニッポンイノベーション人材戦略」(案)』というスライド資料をリンクしておきます。

 (案)という自信のなさそうな追記と、ゴジラまがいの「シン」なるふざけたカタカナの半身振りから露骨に分かるように、率直に言って中身が何もない作文で、呆れるしかありません。

 なぜ、中身がないか?

 作文している官僚たちは、たかだか2~3年でぐるぐると回って一か所に定住しませんから、人材育成現場の真の実情など分かるわけがないからと察します。

 大学生ですら4年、医学部や理系なら6年、ドクターまで行けば9年在学します。

 その学生の数分の1しか腰掛けない官僚の空語空文で、こういう「シンゴジラ」が登場するのは、他人事なら苦笑すればいいのでしょうが、それですむ話ではありません。

「イノベーションを生み出す(人材に)必要な力」と称して

 01:つなぐ力、02:深める力、03:実現する力とか書いていますが これらは、ごくごく当たり前の

02=スペシャリスト:専門性

03=部門ジェネラリスト:部署での総合職性

 の言い換えに過ぎません。これに加えて

01=コミュニケーション力で全体をデザインする力=いわゆる「ジェネラリスト」を書いているもので、文書の見てくれは違っていても、正体は高度成長期の日本企業、「電子立国日本」以前のフレームワークにほかなりません。

 もっと露骨に言うなら、どうして日本が1995年以降「IT革命」に乗り遅れ、「失われた30年」を決定的にしたか、その真摯な反省に基づく具体的な改善提案などが一切見当たりません。