「ディアスポラ」として戦争の中を生きる日々

 私はレバノンのキリスト教徒マロン派の家庭に生まれ育ちました。私にとってレバノンは豊かさの象徴です。オリーブの木々に始まる、周囲を囲む豊かな自然。私は地中海の海岸近くで育ったので、海は時間と空間の基準点でもあります。

 人類学者、文筆家として活動していますが、ポールダンスをするので「ポール・ティシャン ‘pole-itician’」 (ポールダンサーとポリティシャン=政治に強く関心を寄せる者を掛け合わせた造語)を称しています。

 政治的活動家としてアート表現もしており、現在もロンドンのアートセンター、ベスナルグリーンのRich Mixで行われている「Viva・Viva パレスチナ」展に「レバノンを巡るロード・トリップ」というポストカードを使った作品で参加しています。芸術は紛争解決の一つの手段だと信じています。

 母国語はアラブ語ですが、フランス語と英語が話せ、平和のための活動の中でスペイン語も使えるようになりました。レバノン人は他国語を話せるようになる必要があります。国境が厳格なので、言語がパスポート代わりなのです。それは思考のパスポート。言語はあらゆる世界の思考にアクセスしてくれます。

 現在パリに住んでいますが、ここにはレバノンとは違う景色、生活があります。そして同時に、私は戦争の中を生きています。ディアスポラ(離散民、移民)として、私の中で不協和音が響き続ける日々を送っています。

2024年8月4日、レバノンのAnnayaにある祖母の家で。家族一人の航空券のキャンセルと、3回目の航空券の予約について激しく議論している最中に撮影2024年8月4日、レバノンのAnnayaにある祖母の家で。家族一人の航空券のキャンセルと、3回目の航空券の予約について激しく議論している最中に撮影