19時45分:今年の最初のベイルートの爆撃

 2024年7月30日、私がパリからロンドンを経由しレバノンに戻った2日後のこと。父に電話を入れると、すぐ電話に出た父は落ち着いた様子で言いました。

「続けなさい、続けなさい。大したことないじゃない、何でもない」。私は震えながら「中止よ。ダンスレッスンはもう中止」と繰り返しましたが、父は聞いていませんでした。父は幾度もの経験で、爆弾は的を定めて落とされていたので次の心配はない、いつものことだ、と思ったようです。

 ベイルート南郊外、ハレト・レイク地区へのイスラエルの空爆は、私がいたポールダンススタジオから車で15分の場所でした。レッスンを一緒にしていた一人の女性の電話が鳴り、彼女はそれを受けました。そして、すくっと立ち上がると、震えて言ったのです。「私の町に爆弾が落ちたわ」と。

 彼女は自分の荷物のある場所まで震えながら歩いていき、いつもの動作でスカーフを頭に巻いて、丁寧に布の形を整えました。私も他のダンサーたちも、思いやりと連帯心で彼女の周りに集まりました。「送りましょうか」とコーチが尋ねましたが、彼女は「大丈夫です」と答えて、「では、行きますね」と続けました。

 スクールの事務員が慌ててスタジオに走ってきて、「レッスンは中止です! 帰宅してください! けれど、みなさん、どうかお気をつけて」と私たちに言いました。

 その夜、私は戦争による不安な日常に向かって生きるだろうことを理解しました。そして、このように普通に生きる私たちの、人間としての日常を揺さぶる現実など、国境を越えた世界の向こう側に知られることはないだろうとも。

南レバノンのSfariyehにて。2024年8月17日、午後2時にイスラエル軍機が現れる。共に昼食をとっていた友人の夫は、震える私たちがソファを汚さないよう、手にしていたコーヒーカップをテーブルに置くように言った。 そして「2機の戦機が通り過ぎれば、通常は爆撃の危険はおそらくほとんどない」とも付け加えた南レバノンのSfariyehにて。2024年8月17日、午後2時にイスラエル軍機が現れる。共に昼食をとっていた友人の夫は、震える私たちがソファを汚さないよう、手にしていたコーヒーカップをテーブルに置くように言った。 そして「2機の戦機が通り過ぎれば、通常は爆撃の危険はおそらくほとんどない」とも付け加えた