コミッショナーの「強い要望」で異例のトレード実現
この契約は、野球界のみならず日本社会全体で大きな議論を呼んだ。
NPB側はこの契約に否定的な見解を示したが、これに反発した巨人は、この年のドラフト会議出席を拒否した。
この年のドラフトから、抽選で指名順位を決めるのではなく、選手指名が重複した場合に抽選で指名球団を決める方式となった。江川は4球団が1位指名し、抽選で阪神が指名権を獲得した。
12月21日、NPBの金子鋭コミッショナーは、巨人が江川と結んだ契約を「無効」とする判断を示した。しかし翌日、コミッショナーは「強い要望」として、阪神側が巨人に江川をトレードすることを求めた。
巨人の親会社である読売グループ以外のメディアは「巨人の横暴」を非難したが、読売系のメディアは「職業選択の自由」を訴えた。1948年の別所引き抜き事件(南海のエース別所昭(のち毅彦)を巨人が引き抜いた事件)のときも、読売新聞は「職業選択の自由」を訴えた。しかし、ドラフト制度と言う明確なルールができ、巨人も合意していたのに、この主張をするのはどう考えても「無理筋」というものだった。
1985年に刊行された『読売巨人軍五十年史』では、「
江川の去就についてテレビのワイドショーが連日伝えるなど、国民的な関心を集める中、翌年1月31日、阪神は江川卓を巨人にトレードすることに同意、見返りに巨人のエース小林繁を求めた。この日、春季キャンプ地宮崎に向かうために空港にいた小林繁は、球団職員によって呼び戻された。