つまり、中国では何が国家機密なのか、究極的には不透明なのです。定義する権限は中国共産党にあり、ケースバイケースで判断されます。きわめて恣意的な定義なのです。中国の政治指導者はこのような閉鎖的な情報環境の中で情報収集・処理の仕事を行っているわけです。

――反スパイ法など、近年、海外の懸念を招いている法律も何が機密なのか、何をするとスパイ罪になるのかがあまりにも不明瞭だという不安から批判されています。

周俊:建国初期は天気予報も国家機密でした。農民は天気予報すら知らされずにどう農業を行えばいいのか。また、動物園で新たにパンダやライオンが展示されても発表されません。これも国家機密でした。

――あまりにも奇想天外で面白すぎるのですが、天気予報や動物園まで国家機密にした意図はなんだったのでしょう?

周俊:明言はされていませんが、推測は可能です。国家機密の定義があまりにも曖昧なので、下層の役人にも何が機密か判断がつきません。ならば、なんでもかんでも国家機密にして発表しなければミスはないという自己保身の心理あるいは組織防衛の論理が過剰に働いたのではないでしょうか。これは冷戦を源流とする現象ですが、今、現在の状況にも通じる話です。

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 秘密主義の奇妙さ、これは私がこの研究テーマを選んだ理由でもあります。博士課程に入ってすぐ、中国の公文書館で調査をしました。ある公文書館では秘密主義が徹底されていて、ほとんど文書を見せてくれない。何度もお願いしてようやく、どうでもいい文書だけ開示してくれる。それでも資料を見てメモしている間、スタッフが隣にいてずっと監視しているのです。VIPサービスとも言えますが、人件費で考えると大変なコストですよね。

 また別の公文書館に行くと、そこではコネがあったので、館長自ら出てきて、なんでも好きなものを見ていきなさいという話に。すごい温度差がありました。まあ、今は厳しくなってどこも見せてくれないようですが。

 厳しさとゆるさがばらばら。公文書館での経験から、秘密主義とはいったいなんなんだ、何を意味しているのか、この大量の文書に中国共産党の指導者たちは本当に目を通したのか。こうした疑問が浮かび上がったのです。

 もし読んでいたとしたら、どのような経路で文書が伝達されたのか、どう読んだのか、どういう価値観でということを考えていきました。

機密文書が古本屋で売られていた

――なるほど。奇妙な話はまだあります。中国の古本屋を見ていると、「機密」とか「内部参考」と書かれた本がよく売られています。たいして重要そうではない本まで機密とされた上に、そんな指定は無視されてたたき売られている。中国の古本屋の状況と、国家機密の曖昧さは通底しているわけですね。

香港中文大学が所蔵する「内部参考」の資料。古本屋で売られていた機密文書を買い付けて、世界の研究者が使っている(周俊氏撮影)香港中文大学が所蔵する「内部参考」の資料。古本屋で売られていた機密文書を買い付けて、世界の研究者が使っている(周俊氏撮影)

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