時間にして30分弱のインタビュー。46歳のインタビュアーは、21歳の若きエースに翻弄される格好で、はじめてのやり取りを終えた。

 しかし、一度翻弄されたからといって、そうやすやすと引き下がるわけにはいかない。当時、すでにダルビッシュは「球界のエース」と呼んでも差し支えない存在になりつつあった。

 その男の懐に切り込まずして、日本のプロ野球の魅力を伝えることはできない。しかも、こちらは『報道ステーション』(テレビ朝日)という日本一の報道番組で、プロ野球を伝えさせてもらう立場にあった。

 これは自分一人の勝負ではない。番組を背負って、もっといえば番組を楽しみにしてくれているすべての視聴者の皆さんを背負ってインタビューに臨んでいるのだ。次こそ、なんとしても風上に立たねば!(笑)

 その後、ダルビッシュには5 回インタビューをさせてもらった。2008年2月、09年12月、10年3月、10年7月、そして11年1月。

ダルビッシュへのインタビュー、彼と対峙する時間はいつも刺激的だった。

 彼と向き合うまで、取材は人間関係だと思っていた。よい取材をするためには、何よりも人間関係が重要であり、人間的に信用してもらえれば、本音を引き出すことはできる、と。

 ところがダルビッシュがインタビュアーに求めてきたのは、プロとプロのぶつかり合いだった。駆け引きと言い換えてもいい。まるでマウンド上のピッチャーが、18・44メートル先のバッターに勝負を挑むように、彼は向き合ってきた。ある意味、そこに人間関係は要求されておらず、プロとして本当に自分に迫れるのかどうかという一点で、ひと回り以上も年上のインタビュアーを試していたような気がする。

 こちらの問いかけに彼が乗ってくるかどうか、いつも不安だった。

 ダルビッシュが僕のことを少し認め始めてくれてからも、つまらない質問をすると、彼は知らん顔をしている。収録している間、もちろん興味深い話は聞けているんだけど、本当によいインタビューだったのかどうかは終わってみなければ分からない。いつもそれくらい全力勝負だった。

 僕にとっては、それまで学んできた知識や理論ではなく、いわゆる野球観でぶつかっていかなければならない真剣勝負で、それはとても楽しかった。

 それまで取材のすべてだと思っていた「人と人」とはまったく別物といってもいい「プロとプロ」のぶつかり合いには、また違った面白さがあるんだなと思った。それを教えてくれたのがダルビッシュだった。

 他の選手の取材では、あいさつを交わす間柄になって、何回かインタビューをさせてもらうと、だいたい大丈夫だなという感覚ができる時期がある。そういう意味では、それが最後までできなかったのがダルビッシュだった。

 でも、彼にインタビューするたび、間違いなくパワーをもらっていた。だから僕は、ダルビッシュのことがいまでも大好きだ。

 そして、この経験は「一流の伝え手になる」という僕の大きな目
標への大きなモチベーションとなった。

(『監督の財産』収録「2 覚悟」より。執筆は2013年8月)

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