基地提供と日本防衛義務はバランスしていない

 余談になるが、この「軽武装、経済重視」政策を吉田ドクトリンと永井陽之助氏が命名した。しかし、吉田総理の真意は、当時は米国に国防を頼らざるを得なかったが、経済力が向上すれば、当然国防も自立すべきと考えていたことは吉田総理の著作でも述べられている。その意味で「吉田ドクトリン」は誤解されている。

 1960年に岸信介総理が、米国の日本防衛義務と事前協議制度という日本の主体性を盛り込んで改定されたのが今の日米安保条約である。

 日米安保体制の下、日本は基地を提供し、米国は日本を防衛する義務を負うことで対等だという見方があるが、基地の提供と米軍兵士の犠牲を伴う日本防衛義務がバランスしているとの理屈にはそもそも無理がある。

 どうも石破総理は、日米地位協定は日本にとって不平等であるのでそれを解消して、日米安保関係を双務性のレベルに高めようとしているように見える。

 しかし、全体としてみた場合、日本は、自国の安全保障をいまだ米国に依存している関係にある。先にも述べた通り「限定的集団的自衛権」の行使が認められたとしても、である。

 現にトランプ前大統領は、日米同盟は不平等との認識であり、それは米国の負担が多く、バランスを欠いているという意味だ。これは、トランプ前大統領の特異な考えとは言えない。

 つまり、日米行政協定から移行した日米地位協定の改定を不平等性解消、双務性の観点から提起した場合、米国は到底受け入れないということだ。