己の道を貫き、奄美大島へ

《アダンの海辺》 昭和44年(1969) 絹本着色  個人蔵 Ⓒ2024 Hiroshi Niiyama

 1958(昭和33)年、一村は単身奄美大島に渡る。当初は与論島や沖永良部島などを積極的に取材するも、2年後には金銭が底をつき、千葉へと戻った。千葉にて奄美の風景を描いて過ごすが、やはり奄美に身を置いて生活したい。今度は不退転の決意で再び奄美へ。紬工場で染色工として働き、賃金を貯めて制作費に当てるという計画を立てた。

 そのプラン通り、一村は5年間で工場を辞めて、1967(昭和42)年から1970(昭和45)年までの3年間、制作に没頭した。その後、再び紬工場で働き、金が貯まると創作に打ち込み、金が尽きるとまた工場に戻るという生活を繰り返した。そして一村は1977(昭和52)年、69歳で奄美の地に没した。

 展覧会場の最後には一村の代表作とされる2枚の絵が並んで展示されている。一村が手紙の中で「閻魔大王えの土産物」と記した《アダンの海辺》(1969年)と《不喰芋と蘇鐵(くわずいもとそてつ)》(1973年)。アダンもソテツも、奄美では決して珍しい植物ではない。どこにでも自生する、奄美の人であれば気にも留めないような見慣れたものだ。

《不喰芋と蘇鐵》 昭和48年(1973)以前 絹本着色 個人蔵 Ⓒ2024 Hiroshi Niiyama

 だが、一村の手にかかれば、そうした風景が燦然と輝き始める。なんだろう、この心に引っ掛かる不思議な感じ。豊かな自然とあたたかな光を描いた絵画は、世の中にいくらでもある。でも、一村の絵には誰にも真似できない特別な何かがあふれ、作品から目が離せなくなってしまう。

 田中一村は先にも述べた通り、天賦の才に恵まれた画家だ。その才が妥協のない均一な濃度を伴って、画面の細部にまで宿っている。これが、境地に至るということなのだろうか。生前、一村はこう話していた。「私はバカになりたい。正気であるうちは、正気の絵しかかけません」と。

 

「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」
会期:開催中~2024年12月1日(日)
会場:東京都美術館
開室時間:9:30~17:30(金曜日〜20:00) ※入室は閉室の30分前まで
休室日:月曜日、10月15日(火)、11月5日(火) ※ただし10月14日(月・祝)、11月4日(月・休)は開室
お問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル)

https://isson2024.exhn.jp/