夫だけでなく娘の心も式部に奪われた源倫子の「寂しさ」

 もう一人、今回の放送で気の毒に感じたのが、道長の妻・源倫子である。

 敦康親王のように過酷な運命が待ち受けているわけではないものの、娘の彰子はすっかり式部に心酔。赤子と添い寝をする娘の枕元で、倫子が「お手柄ですわ」とねぎらうと、彰子は「私の今日は藤式部の導きによるものです。礼は藤式部に」とほほ笑んだ。倫子はややあきれ気味に「もう散々申しましたわよ」と言っている。内心は寂しかったのではないだろうか。

 自身も5人目、6人目と出産を重ねて、産前産後で身体がつらい中で、入内した長女の彰子のサポートもしてきたことを思うと、もう少しお母さんにも感謝の気持ちを分けてあげても……と思ってしまったのは筆者だけではないだろう。

 しかも番組の終盤では、敦成親王の生誕50日目にあたる夜に「五十日の儀」の様子が描写され、夫の道長が式部と息ぴったりの歌の掛け合いをみせている。

 まずは式部が道長から和歌をリクエストされて「いかにいかが 数えやるべき 八千歳(やちとせ)の あまり久しき 君が御代をば」と詠んだ。意味は「どうやって数えればよいだろうか、8000歳までも続く皇子の寿命を」というもので、皇子の末永い繁栄を願う内容だった。

 それに対して、道長は「さすがであるな」とほめながら、藤式部と並んで座り「あしたづの よはひしあらば 君が代の 千歳の数も 数へ取りてむ」と即座に詠んでいる。意味は「鶴ほどの寿命が私にあれば、1000年続く皇子の寿命を数えられるのに」というものだ。

 あまりに息の合ったやりとりに、倫子は居たたまれなくなったのか、退席している。娘も夫も式部に心を奪われたとなれば、自分の存在価値も分からなくなってしまいそうだ。

 実際はどうだったのか。『紫式部日記』を見てみると、悪酔いした道長が隠れていた藤式部にからみ、無理矢理に和歌の詠み合いをした後、妻の倫子に対して「私のようによき夫に恵まれて嬉しいだろう」と軽口を叩いた結果、怒った倫子は退席。慌てて道長は妻のあとを追いかけている。

 史実の道長の方が明らかにしょうもない男だが、なにやら愛嬌がある。それに比べてドラマの道長は思慮深く描かれているだけに、事態は深刻のように思える。倫子との仲はどうなってしまうのだろうか。

 また、ドラマ中での藤式部の和歌としては、皇子が生まれた日に夜空を見上げながら、「めずらしき 光さしそう 盃は もちながらこそ 千代もめぐらめ」という歌を詠み、それを聞いた道長から真意を問われると、こう答えた。

「中宮様という月の光に御子様という新しい光が加わった盃は、今宵の望月のすばらしさのままに、千代もめぐり続けるでありましょう」

 道長は「よい歌だ。覚えておこう」と応じている。史実での道長といえば、「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」という傲慢な和歌がよく知られている。今後のドラマで、道長はこの式部の和歌をもとに「望月の歌」を作ることになるのだろうか。重要な伏線となりそうだ。