選手に好かれる監督である必要はない

 また、広岡氏は、監督は選手に好かれる必要はないと主張する。

 監督の使命とは「チームを勝利へ導くこと」であり、そのために監督が嫌われ役を演じることも必要なのだという。

 ヤクルトスワローズの監督に就任した広岡氏は、チームのぬるま湯体質を変えようと徹底的な意識改革に取り組んだ。当然選手からの反発も大きかった。

 しかし、チームにとって正しいことをしているという確固たる信念を持って続けたところ、少しずつ結果に表れてきた。

 1977年にリーグ2位と優勝まであと一歩となったことで選手たちの意識は徐々に変わり、広岡氏の指示に素直に従うようになっていった。広岡氏は次のように振り返る。

もしも私が「選手に嫌われたくない」という思いで妥協をしていれば、表面上は円満な組織ができたとしても、決して優勝はできなかったはずだ。監督とは嫌われ役を演じるもの——。それでいいではないか。

プロアマ交流戦で早大に敗れた巨人の二軍選手に罰走を命じた阿部監督

 2024年、読売ジャイアンツは17年にわたり指揮を執っていた原辰徳監督に代わり、阿部慎之助監督が新たに監督に就任した。

 阿部監督といえば、二軍監督時代にプロアマ交流戦で早稲田大学に敗れた二軍選手たちに罰走を指示したことが「パワハラ」と非難された過去がある。その際、阿部監督は非難に動じず、「若手選手には、『絶対に二軍に行きたくない』と思ってもらうように、これからもドンドン罰走をやっていきたい」という言葉を残した。

 昨今、若手には厳しく接するのではなく、寄り添う姿勢が求められがちだが、阿部監督のこうした姿勢を広岡氏は評価する。

私に言わせれば「優しい監督=何も教えない監督」である。しかし、阿部はあえて「厳しい監督」となろうとしているように見える。「厳しい」ということは、その選手に対する愛情の裏返しだ。「何とかお前に育ってほしい」という思いがあればこそ、厳しく接することになるのだ。

 原監督が指揮官だったジャイアンツには、圧倒的に「厳しさ」が欠けていたと評する広岡氏。失われていた厳しさを取り戻してくれるかもしれない存在として、阿部監督に期待しているようだ。

2000年11月、ドラフト会議で巨人の1位指名を受け、ガッツポーズをする中央大学時代の阿部慎之助氏。プロ1年目で開幕スタメンとして先発出場するなど、捕手として巨人を率いてきた(写真:共同通信社)