「粗にして野だが卑ではない」

 時代か、年齢か、それとも長年の海外暮らしからか。石田にはノーブレス・オブリージュ(高貴な義務)の精神があった。リーダーたるものは自分を捨て、組織やそのメンバーを考え、行動しなければいけない。何かあればリーダーは先頭に立ってこれに対処し、組織が誤りを犯せば全責任を負わなければならない。気力や活力が落ち、それを守り切れない状態になったら、自らリーダーの座を降りなければならない。そんな自負があった。

 総裁として初めて国会に呼ばれた際には、議員たちを前に「粗にして野だが卑ではない」と自己紹介したことは有名だ。がさつかもしれないが、いやしく物欲しげな人間ではない。リーダーとして、人間として守りたい、守らなければならない一線を示した。

「祖にして野だが卑ではない」の言葉は作家・城山三郎が書いてベストセラーになった石田の半生記のタイトルにもなり、一躍有名なセリフとなった(『粗にして野だが卑ではない―石田禮助の生涯』城山三郎著、文春文庫
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 言うは易しで、実践できる人は少ないが石田は徹底した。象徴的なのが報酬に対する考えで、石田は「無給で」と申し出た。今の政治家や経営者が聞いたら驚くだろうが、石田はそれまでも公的な職は無給で引き受けていた。ただ、これには国鉄側が「総裁が無給だと副総裁以下が月給をもらいにくくなるので」という理由で規定の3分の1を支払うことになった。

 石田の言葉を借りれば「77才のヤングソルジャー」として石田は国鉄に新風を吹き込んだ。「サービスアンドサクリファイスでパスポートフォアヘヴン」など昭和30年代にしては斬新すぎる横文字言葉で方針を語る姿勢は適切かどうかはともかく新鮮だった。