マルクス『資本論』と落語の共通点

 私も「動物園」を演じるとき、このオチを言った途端、お客様が「おお」と腑に落ちたような空気感に会場全体が包まれるものです。そうした経験から、「もしかしたら、すべての人はこのオチのひと言を渇望しているのかもしれない」と思うようになりました。

 幾分大袈裟に申し上げますと、このオチこそ、今年8月のように災難が次々と襲うような厳しい状況から、人々を不安から救ってくれる「天の声」ではないでしょうか。このオチに触れると、「つらいのはあなただけじゃありません」と、誰かが救いの手を差し伸べてくれているように感じるのです。

南海トラフ地震の臨時情報発表を受け、遊泳禁止となった宮崎県日南市の海水浴場(写真:共同通信社)

「ああ、面倒くさいなあ」「上手くいかないなあ」とお嘆きの皆様、そうお感じになっているのはあなただけではないはずです。「動物園」を聞いて、そんな気持ちに浸っていただけたらと願います。

 昨年、私が書いた『落語で資本論』は、「マルクスの『資本論』を落語から裏読みした本」です。「資本主義のシステムエラーを描いたのが『資本論』だとするならば、落語は人間にとっての『失敗図鑑』。それなら親和性はあるはず」という妄想だけで書き進めました。

 紐解けば『資本論』とは、マルクスが資本主義創生期にイギリスで過酷な労働環境から小さな子供までもが命を落としている現状を憂い、資本主義の本質を暴きだそうとして書いた本です。そこには、「労働者諸君、苦しいのは君だけじゃない」という視点があったのではないでしょうか。つまり「苦悩の分散装置」としての役割をマルクスが買って出たとも言えましょう。