あれから35年の歳月が過ぎて、今では遠い記憶の出来事として、歴史の一部になりつつある。

1989年5月4日、当局の立ち入り禁止措置を無視して天安門広場で集会をする学生たち。ここからちょうど1カ月後、人民解放軍の兵士と戦車がデモの鎮圧に乗り出し、多くの学生が犠牲となる天安門事件が起こった(写真:共同通信社)
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 だが、中国政府は片時も忘れず、執拗に弾圧を繰り返してきた。

恫喝と甘言

 とりわけ2017年、「国家安全基本法」の制定により、海外在住の中国人すべてに国家防衛の義務を課したのと同時に、民主活動家たちには帰国命令を出した。

 そして従わない者には、中国国内にいる親族を「人質」にして、海外での民主化運動をやめるよう脅迫し続けてきた。

 中国の両親や兄弟姉妹、親せきに対して監視、尾行、恫喝、脅迫を行い、仕事を解雇して収入の道を絶ち、親しい友人や隣人を遠ざけて孤立させ、困窮に追い込んだ。高齢になった両親が病気になっても治療を許さず、この35年間に多くの民主活動家の両親が亡くなったが、葬儀に参加するため帰国申請しても、「不許可」となった。