唐をよく知る民主活動家によれば、1989年の天安門事件の際、唐は中国東北部の労働者組織を作って北京の学生運動を支援したことで、中国で8年間投獄された。釈放後、自由を求めて台湾海峡を泳いで台湾へ渡り、米国へ政治亡命し、海外の民主化運動に参加した。

35年経った現在も続く、天安門事件に関与した者への執拗な弾圧

 しかし長い年月の間に、唐は海外の民主化運動に失望し、意気消沈した。国内に残った兄と妹が困窮して病気になり、誰も面倒を見てくれる人がいないことにも、ひどく心を痛めていたという(「博訊」ネット、2024年8月22日付より)。

 中国の情報工作員はそうした唐の弱みに付け込んだのだろう。背景には中国政府の反体制派に対する熾烈な破壊工作がある。

 天安門事件は1989年、北京で起きた大規模な民主化運動を中国政府が武力で弾圧した事件だ。犠牲者は800人とも1500人以上とも言われるが、未だに中国政府は認めていないため、犠牲者の数さえ不明のままだ。

 事件当時、指名手配された学生や知識人、労働者ら100人以上が海外へ逃亡し、フランスや米国に政治亡命した。