国民が見たいのは「刷新感」ではなく「刷新」

「自民党の論理」は「次」の総選挙をかろうじて乗り切らせるかもしれないが、来夏の参院選やいずれくる「次の次」において、いよいよ自民党離れや野党支持につながるのではないか。

 もちろんそうなるなら、岸田総理はかつての小泉元総理以上に「自民党をぶっ壊す」ことに棹さすのかもしれない。このように捉えるとき、自民党の内的論理に立ってみても、政治とカネの問題に相応の具体的解決策を提示し、刷新感ではなく刷新の筋道を党員のみならず国民に示すことこそが自民党に貢献するといえるのではないか。

 目先の利益にとらわれず中長期の利益を構想することもできないとすれば、自民党という組織がガバナンスに相当のガタがきているといわざるをえないし、そのような組織に果たして国民利益を委ねてよいのか心配になってくる。

 ガバナンスといえば、総裁選のプロセスが、岸田氏が選出された前回2021年総裁選と概ね同じ方法となることも報じられている。

具体的筋道を示せる候補者は誰か

 そもそも自民党総裁選は経験的にいえば、そして今回もほぼ間違いなく総理大臣選出に直結する公的性質をもつにもかかわらず、あくまで自民党という私的な集団の代表選抜の方式に過ぎないという理屈で、一般の国政、地方それぞれの選挙に適用される公職選挙法が適用されないことになっている(もちろん野党の代表選も同様である)。

 それどころか日本には政党という組織それ自体を規律する「政党法」に類する法律が存在しない。あるのは、国会の役割や手続き等を規制する国会法、選挙運動や政治活動等に関する公職選挙法、放送の政治的中立性も定める放送法、そして今般の政治とカネの問題にも深く関わる政治に関する資金を規制(規正)する政治資金規正法などで、実に縦割り的になっていることがわかる。

 政党について定義し、そのあり方を定めた政党法が必要であるという議論は少なくとも平成初期から幾度も行われている。自民党みずからたびたび公言しながら、未だに実現していないことは特筆に値する。

 政党改革を本気で主題とするのであれば、この総裁選において、候補者たちの誰かが政党法について言及するかも注目したい。

 果たして「自民党の論理」を超え、「刷新感」ではなく刷新を、そして国民の利益増大の具体的筋道を提示する総裁候補者は現れるだろうか。

 そしてこのとき、野党第一党の立憲民主党代表選では、自民党を上回るような魅力的な提案をし、そして国民の関心を集められる候補者が登場するだろうか。

 理屈はどうあれ、選挙という仕組みを踏まえると国民の関心は政治における資源である。

 少なくとも来夏まで続く、息の長い、そしてよかれあしかれ日本政治の変化の端緒となるであろう政治ショー前哨戦の幕開けである。