運命の日は12月12日。この日、チョン・ドゥグァンは内乱幇助罪をでっち上げ、参謀総長を拉致。自身に反対する勢力を1カ所に集め、そのうちに事を一気に運ぶ算段である。ここから映画は1分単位で時間が細かく表示され、まさにリアルタイムでクーデターが描かれるのだ。

 クーデターの過程では銃撃戦が激しく繰り広げられ、死人も多く出ている。だがこれは単なる映画ではない。実際に起きたことをモデルに描いているので、手に汗握るリアルな映画に仕上がっている。

 クーデターを進めるチョン・ドゥグァンと、それに対抗するイ・テシン。一進一退の攻防は目が離せない。「クーデターはいかに起こったのか」という映画の問いは、「クーデターは阻止できなかったのか」という歴史の「イフ」につながる。この映画を見ていると、クーデターの過程でチョン・ドゥグァン(全斗煥)を逮捕できるチャンスはいくつかあったと感じる。

 映画の中で最後まで抵抗する首都警備司令官のイ・テシン少将の姿は、韓国で大きな反響を呼んだ。チョン・ドゥグァンに奥深くまで攻め込まれ、もうほとんど勝負は決した場面。部下から不利な戦況を伝えられ、「十分やりました。もう終わりです。こんな状況で戦っても勝算はありません」と言われる。

 それに対し、イ・テシン少将は「国を反乱軍に渡すのか? 祖国が反乱軍の手で滅びつつあるのに最後まで戦う者がいないとは。それでも軍隊か? 今夜ソウルは我が部隊が最後まで守る」と啖呵を切る。イ・テシン少将は、最後の一人になるまでチョン・ドゥグァンに対抗するのだ。

 それにしても、全斗煥は稀代の悪漢で、非常に映画的な存在だ。強烈な悪運の持ち主で、逆境を跳ね返し、危機をくぐり抜けていく。「失敗すれば反逆、成功すれば革命」と豪語し、仲間を盛り立てる。その過程は映画として痛快に描けるはずだが、あくまで禁欲的な描き方である。見終わると苦々しい後味の悪さがある。