卓球女子のシングルス3回戦(8月1日)もひどかった。早田ひなとフランスのユアン選手の試合だ。

 早田がサーブを打とうとすると、フランスの観客が声を揃えて「オー」と騒ぎ、床を踏み鳴らして邪魔をし、自国選手が得点すると無暗と大騒ぎをするのである。とにかく邪魔をしてでも勝ちたいのだ。

 早田は結局4-0で圧勝して、フランスの観客を黙らせた。するとかれらは、最後はふたりに拍手を送って、「ほーら、おれたちは公正だろ」というように帳尻を合わせたのである。腹立つなあ。

 この帳尻合わせは、フェンシング女子サーブル団体3位決定戦(8月4日)でも見られた。世界8位の日本が世界1位のフランスを倒して、銅メダルを獲得した。

 会場はフランス国家の大合唱だったが、負けるとまた拍手。一見すると、公正な、温かい拍手に見えるが、「博愛」の欺瞞の拍手である。そんなことで帳尻があうか。

気持ちのいいシーンが救いだ

 わたしはなにがなんでも日本選手を応援するということはない。

 怯懦なことをして勝つくらいなら、負けてもいいから果敢に攻めろと思う。全力を出して負けるのはしかたがないのである。

 ただ、臆病な試合運びをする選手、人間的にどうかと思う選手、無駄に調子づいてる選手などには、おまえは勝たんでいいからな、と思う。むしろ負けてしまえ、と。

 米イエール大学の経済学者の成田悠輔が、「オリンピックに興味ない人に会うとホッとする」と語ったという。東京大学准教授の斎藤幸平も、政治的に「反五輪」の立場を宣明している。

 かならずこういう人はいる。

 2018年のサッカーW杯ロシア大会のときも、古市憲寿が興味がないというと、小倉智昭が「嫌な奴」といった。

 このような発言に対しては、五輪で勝つためにアスリートは何年も頑張っている、そういうことをいう人は人の心がないとか、興味ないのはあなたの勝手だが、そう公言する必要はないなどと批判があるが、もちろん、公言してかまわない。

 それにその程度の五輪批判は大したことではない。わたしはほんとうのことをいえば、95%は愛国的視聴者だが、残りの5%では、なにが金メダルだ、なにが世界新記録だ、と思っている。そんなに興奮することではない。

 わたしの知り合いに、サッカーW杯やオリンピックなどの大会にまったく興味がない人がいる。

 かれいわく。大会そのものというより、自分ではなにもしないくせに(なにひとつできないくせに)、そういう大会に便乗して、まるで自分が何事かをなしたかのように騒ぐ連中に腹が立つというのである。

 この気持ちはわかる。渋谷の交差点あたりで騒ぐ連中である。

 選手のわざとらしい雄叫びもいただけない。自然に出たというより、意識して、わざとやるやつがいるのだ。それをまた、テレビ局のバカアナウンサーが、「吠えた!」と騒ぐのである。

 死ぬほど努力しているアスリートといえども、批判に値する態度をとれば、批判されて当然である。かれらを神のごとく特別視してはならない。かれらの努力には敬意を表するが、アスリートも競技を離れれば、ただの人間である。

 そんな不満があちこちで生じていたなか、気持ちのいいシーンがいくつもあったことは救いである。

 スケートボードのストリート種目で、大逆転で金メダルをとった堀米雄斗の控えめなガッツポーズが好ましくも、美しかった。

スケートボード男子ストリートで金メダルを獲得し五輪2連覇を果たした堀米雄斗=パリ(写真:共同通信社)スケートボード男子ストリートで金メダルを獲得し五輪2連覇を果たした堀米雄斗=パリ(写真:共同通信社)

 体操の橋本大輝が鉄棒を終えて、日本の団体優勝をほぼ確実なものにしたあと、歓声が沸き上がる会場に、「静かに。まだ中国選手の演技があるよ」というように人差し指を口にあてたしぐさもよかった。2018年平昌五輪で小平奈緒が示した行為を思い起こさせる。

 中国体操のエース張博恒の静かなたたずまいにも感心した。かれは種目別の鉄棒の表彰式で、おなじ銅メダルの台湾の唐嘉鴻に笑顔で話しかけた。いい男だ。

体操男子種目別鉄棒の表彰式。金メダルが岡慎之助(左から2人目)、銅メダルが中国の張博恒(右から2人目)と台湾の唐佳鴻(写真:共同通信社)体操男子種目別鉄棒の表彰式。金メダルが岡慎之助(左から2人目)、銅メダルが中国の張博恒(右から2人目)と台湾の唐嘉鴻(右端)(写真:共同通信社)

 こういう美しい光景がなければ、五輪なんかに意味はない。