平安時代の恋愛と結婚までの道のり

 平安貴族の女性は屋敷の中を出歩くことも、外に出ることもなく、人目を避けるのが嗜みで、他人に顔を見せることは憚られた。

 女性が外に出歩くことがなかった当時、男性が適齢期の女性と直接知り合う機会はほとんどなかった。

 貴族の子弟は意中の女性を見つけようと、「そこの家には奥ゆかしくて美しく琴の巧みな女性がいますよ」といった噂や囁きを頼りに、意中の女性を探してアプローチするのだ。

 一方、女性が婚期を迎えれば、娘の教養の高さや優れた才能など、親や女性の親族が、意図的に娘の噂を街中に流し、男性をおびき寄せる。

 噂で娘の評判を聞いた男性は、まずは庭の垣や塀の隙間から女性宅を覗いて、女性の人となりを知ろうと試みるのだが・・・。

 顔かたちはよく見えなくとも、着物の柄や髪の毛の長さなどを見て、男性は女性への妄想を膨らませる。

 こうした覗き見を、「垣間見(かいまみ)」という。

 平安時代は、容姿のことを「かたち」といったが、かたちの良い平安美人とは、ふっくらとした体型。色白で下ぶくれの顔。長くて艶やかな髪の毛の女性が憧れの的となった。

 さらに女性がモテる要素として、内面的に奥ゆかしさがあり、知的で教養がある。歌が上手に詠める、などがある。

 平安貴族の女性の嗜みとして、手習い、楽器、和歌に精通していることが尊ばれた。

 手習いとは、文字の達筆さ、綺麗さを指す。

 歌のやりとりで恋心を通わせることが一般的だった当時、文字の達筆さ、綺麗さは、教養ある女性あるために欠かすことのできない条件でもあった。

 琵琶や琴、笛などの楽器を奏でて愉しむことが重んじられた平安時代、楽器を奏でる才がある女性は敬われた。

 また、和歌が上手に詠める、昔の和歌にも精通している、ということは教養があるという証として大いにリスペクトされた。

 男性が気になる女性にアプローチをする際、まずは女性宅の女房を介して、懸想文(けそうぶみ)といわれる恋文とともに求愛の和歌を令嬢に届けさせる。

 恋文を受け取った女性や女房達は、文字の達筆さや優美さ、求愛の文章や和歌が巧みか、身分や女性関係はどうか、将来有望で出世のしそうか、どのような性格か、などを見極めようとする。

 男性も女性も、相手の恋文や歌をじっくりと観察、分析しながら教養のレベルやセンス、性格や気立てなどを推し量るのである。

 女性から男性への最初の返事は、女房による代筆によるつれない反応しか届かないが、やりとりが続く中で女性の心を射貫くことがかなえば、その後、女性の自筆の手紙が届くこともある。

 そこで男女間の恋愛が成立すると、いきなり女性の部屋に行って強引に交わるのではなく、親が許した婚約者のみが、女房の手引きで、吉日の夜に男性が女性の寝所にたどり着くことができる。

 それを「妻訪い」、または「夜這い(よばい)」といい、文字通り、男が女の寝所に忍んで行く意である。