このように、私たちを取り巻く世界は、いや応なくどんどんデータ化され可視化され、それらが蓄積されています。よく言えば透明化された社会ではありますが、悪く言えば監視社会化とも言えます。

民主主義国家も監視社会化

 社会がどんどんディストピア(暗黒世界)的になっていくことへの不安や憤り、嘆きがどんどん募っていくのに、その感情のやり場はどこにもない。これは、イギリスの作家ジョージ・オーウェルが小説『1984』で描いた恐ろしい予言的世界が、1984年ではなく、40年遅れの2024年になって現実化しつつあると言えるかも知れません。

『1984』の中でオーウェルが描いたのは、オセアニア、ユーラシア、イースタシアという3つの、一党独裁の国家によって分割統治された世界です。中でもオセアニアは「ビッグ・ブラザー」と呼ばれる支配者の専制国家で、国民は常に監視され、あらゆる市民生活が統制されている。その中で自由に生きようと思った男女が現れますが、当局から尋問を受け、最後は思想改造されてしまうという小説です。

 ロシアや中国といった権威主義国家では、すでに、そうした状況が現出しつつあると言えますが、世界最大の民主主義国家を標榜するインドはもちろん、市民の権利が一番だったはずの民主主義国家でも徐々にそうした方向に向かっているのではないか――人々はいまそうした不安を漠然と感じているのではないでしょうか。民主主義国家でありながら、さまざまな面で透明化が進み、それと表裏一体で監視社会化までも進展してしまっている。そのなかで人々はどんどん息苦しさ、生きにくさを感じ始めているように思うのです。

 これからはAIもどんどん高度化していきます。もちろんそれで便利になったり、サービスが安価になったり、ということも起きるでしょうが、一方でそれがディストピア的な世の中を作ってしまう側面があります。なにしろマイナンバー、SDV、AIといったものがどんどん進展していけば、企業によるそれらの活用・悪用(すでにマーケティング、ターゲティング広告などで目の当たりにしているところです)、当局による情報統制が容易になります。権威主義国家だけでなく民主主義国家でもいや応なく、少なくとも傾向としては、そういう方向に向かっています。それを察知した人々はいま、民主主義に期待が持てなくなっていると思うのです。