妻は15歳年上?

 山田キヌヲが演じる藤原繁子も、道兼の妻とされる。

 繁子は兼家の妹とされ、道兼の叔母にあたる。生没年は不詳とされるが、角田文衛『王朝の映像——平安時代史の研究——』では、道兼より15歳年上としている。

 兼家の娘の吉田羊が演じる詮子に仕え、詮子が懐仁親王(のちの塩野瑛久が演じる一条天皇)を産むと、御乳母に任じられた。

 繁子は、正式な妻ではなかったとみられている。

 道兼との関係は一時的なものだったといわれ、正暦3年(992)ごろ、兼家の家司・佐古井隆之が演じる平惟仲と再婚している。道兼がこの結婚に異議を唱えることはなかった。

 惟仲が亡くなると、繁子は出家して好明寺に隠棲し、静かに余生を送った。

 道長は叔母にあたるこの繁子を深く敬愛しており、好明寺を訪ね、孤独を慰めたという(以上、角田文衛『王朝の映像――平安時代史の研究――』)。

 

娘は、暗戸屋(くらべやの)女御

 道兼との繁子の間には、永観2年(984)に娘・尊子が誕生しているが、道兼は娘を特に可愛いとは感じていなかったようである(『栄花物語』)。

 道兼の死後、尊子は長徳4年(998)2月、一条天皇の後宮に御匣殿別当として、入内している。

 尊子の入内は、一条天皇の御乳母であった母・繁子の意図が働いたとみられている。

 長保2年(1000)8月に、ようやく女御となった。前年に内裏が焼けため、一時期、暗い曹司で暮らしたせいか(保坂弘司『大鏡 全現代語訳』)、尊子は「暗戸屋(くらべやの)女御」と呼ばれた。

 寵愛を受けることのないまま、寛弘8年(1011)に、一条天皇は32歳で崩御した。尊子は長和4年(1015)に藤原通任と結婚している。