そのように心の中にしこりを感じながら生活をして数カ月後に世界を揺るがす大事件が起きてしまった。新型コロナウイルス禍である。筆者が住んでいた国もロックダウンやその他の措置で移動もままならなくなり、ずっと家の中で過ごさざるを得なくなった。しかも、更に悪いことに、ウイルスの流行がアジア発だったこともあり、からかわれる、石を投げられる、唾を吐かれる等露骨なアジア人への嫌がらせに遭遇し、「一体自分は何なのだろう」と自問自答することとなった。
結局一時帰国を選び、留学は中断し暫くは日本で暮らすことになったのだが、勉強がなくなった分暇な時間ができてしまったので、「時間があるうちに時間がかかりそうなことをしよう」とコンプレックスに感じていた日本の文化を学びなおそうと決意した。
当初はインターネットで調べ物をしたり、図書館で伝統文化についての本を借りたりしていた。しかし、文章だけでは全く頭に入らない。世間では感染者が急増して文字通りの大パニック状態で、緊急事態宣言などが繰り返し発令されて移動の自由も制限されていたが、その合間を縫って文化の都である京都を訪れ始めた。
京都を選んだのも、漠然と「京都=伝統文化」の方程式が脳内に出来上がっていたからである。ただ、京都に何か伝手があるわけでもなく、前回訪問したのは大学時代の卒業旅行。他2回も中高の修学旅行のみである。「まあ、時間もあるし、1週間くらい京都でも見学してみるか」ぐらいの気持ちでいたのが、その3年後には文字通り毎週通うことになるとは夢にも思っていなかった。
残る京コマ屋は「私の店だけです」という答えに衝撃
さて、京都駅に着いて、まず疑問に思ったのは、「京都にある伝統文化ってなんだ?」ということだった。筆者のような東京人からすれば、京都は敷居が高い。「一見さんお断り」という言葉をはじめ、どこか格式の高そうな印象を与える街だ。いざ、日本の文化を学ぼうと京都に来てみたものの、どこから始めたらいいのかわからない。新型コロナの影響からか人影もまばらな京都の街を探索し始めた。
まずは京都といえば寺だ、と思い、修学旅行以来行かなかった有名な寺を一通り回った。しかし、何も手がかりがつかめない。龍安寺の石庭も1時間くらいじっと見つめたが、スティーブ・ジョブズのように何か革新的なアイディアが出てくるわけでもない。
その後、神社、美術館、博物館と様々な場所を巡ったが、空を掴むようにうまくいかない。まずは、現場・現物だと信じて京都にまで足を運んでみたものの、やはり簡単ではない。いったん東京に帰って出直そうと思い、最後に足を運んだ伝統工芸の博物館で、ある運命的な出会いがあった。それが、京都の伝統工芸品「京コマ」を作る中村さん夫妻との出会いだった。
中村佳之(雀休)さんは博物館内で京都の伝統工芸品作りを実演されていて、その時、筆者がほぼ唯一の客だった。目の前で心棒に木綿を巻き付け、器用にコマを作っていく中村さんに、「自分は何をしに来たのか」さえ一瞬忘れて見とれていたが、気を取り直して京都に来た理由を説明し、伝統工芸について質問をした。中村さんは丁寧に答えて下さったが、その間も手を休めることなく、まさに手とコマが一体となっているような職人芸を見せてくれた。
会話も弾み打ち解けたところで、何の気なく、「京都にコマ屋さんはどれくらいあるんですか」と聞いたところ、その答えに衝撃を受けた。今思えば、この時の衝撃がこの取り組みを始める決定打になった、とも言えよう。
中村さんの答えは「私の店だけです」というものだった。曰く、昭和初期には10軒程度のお店があったが、徐々にその数は減少していき、現在は中村さん本人と奥様のたった2人で作られている、ということだ。
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