ユダヤ人を救ったペルシャ人
世界史の教科書にも記載される重要なユダヤ人の出来事としては、紀元前6世紀に起こった有名なバビロンの捕囚がある。これは、ユダヤ人が新バビロニアのネブカドネザル2世に連行され約60年にもわたり抑留された事件である。
ヴェルディの有名なオペラ「ナブッコ」は、バビロンの捕囚にヒントを得て創造された作品だ。第三幕で歌われる「行け、わが想いよ、黄金の翼に乗って」は誰でも聞いたことがあるだろう。抑留されたユダヤ人の思いを知ることができる。
このユダヤ人の苦しみを救ったのが、ペルシャだった。
ペルシャ帝国(アケメネス朝ペルシャ)の創始者であるキュロス2世(クロス)は、紀元前539年に新バビロニアの首都バビロンを征服し、ユダヤ人のバビロン捕囚を終わらせた。当然にユダヤ人は歓喜して、キュロスは救世主として称えられたのだ。
さらにペルシャ帝国は、ユダヤ人がエルサレムに戻り、第二神殿の再建まで支援した。この時期には、ユダヤ人は自分たちの信仰を守り、地域の自治を行うことが許されるようになっている。
古代のオリエントで、ユダヤ人が地歩を築くためにペルシャ帝国が果たした役割は小さくない。
バビロン捕囚を巡る歴史は旧約聖書に描かれている。現在のイスラエルとイランの関係を知る我々にとっては意外なことかもしれない。
その後、ユダヤ人はローマ帝国の圧迫・迫害を受け、紀元1世紀には世界各地に離散(ディアスポラ)する憂き目にあう。
ペルシャ帝国内に離散したユダヤ人も存在し、ユダヤ人コミュニティも存在した。両者は長きにわたって共存した。
離散が終わり国家としてのイスラエル・イラン関係が復活するのは、第二次大戦後のイスラエル建国時である。この時期イランは、親米・新西側のパフラヴィ―朝。イランはイスラエルを国家承認したトルコに次ぐイスラム圏の国だった。
当時のイランは西欧化を進めていた親米国家である。西欧国家に習ってイスラエルを承認したのだ。